藤沢市の江の島は、江戸時代から江の島詣で(弁財天)の参詣者で、 賑わったところ。この江の島には、江の島縁起にまつわる、弁天様と五頭龍の伝説が残されています。
むかし、むかし、1500年もの大むかしのこと。 鎌倉の深沢の山ん中に底なし沼があったそうな。 沼のまわりは、うっそうと原始林がおいしげり、昼なお暗く、 そこにはやせこけたオオカミが、たむろしておったそうな。 道に迷った旅人が、沼のほとりに近づくと、とつぜん黒いなまぐさい風が吹きまくり、沼には白い波がざわざわとたち、 水がむっく、むっくともちあがり、沼の底から五つの頭をもつた龍がぬうっと現われて、ふるえおののく旅人をドクンとのみこむと、 ふたたび沼の底にもぐっていった。
五頭龍は、人をのむだけではなく、ときには山くずれや洪水をおこし、田畑をうめたりおしながし、作物を枯らしたり、 ときには火の雨をふらせたりして村人を苦しませていた。 なかでも村人がいちばん恐れていたのは、とつぜん龍が里にあらわれて、 こどもをまるのみにすることだった。
ある日、五頭龍が津村の水門のところにあらわれて、はじめて村のこどもを食った。 それからというもの村人は、ここを「初くらい沢」と名づけて近よらなかった。 また、津村の長者には、16人のこどもがいたが、 ひとり残らず五頭龍にのまれてしまった。 悲しんだ長者は、しかたなく西の村に逃げ、そののち、 村人達は、沼のある深沢へいくこの道を「子死越(こしごえ)」と呼ぶようになり、それが今の「腰越」になったと。
「五頭龍さまがくるぞ」といえば、どんな悪たれ小僧もチンとしてちじこまってしまった。 「こんなにつぎからつぎと災難つづきじゃ、村は死に絶えてしもうわい。 どうじゃ、五頭龍さまをなだめるために、 こちらからこどもを人身御供としてさしださねばおさまるめえ」。 村では、そう話がきまって、毎年、おさないこどもたちが「子死越」の坂を越えて、沼へつれていかれた。 いけにえとなった子供達のおかげで、村は静かな年をおくることができた。
ところが、欽明天皇(きんめいてんのう)の13年(552年)4月12日、前夜から海岸一帯にまっ黒い雲が天をおおい、深い霧がたちこめ、 地鳴りがゴーゴーとひびき大地震がおそった。 地は割れ、山はくずれ、沖合いからは高波が村におそいかかってきた。 村人は命からがらあちこちとさまよっていた。 地震は十日のあいだつづいたが、二十三日の辰の刻に、うそのようにとまった。 やがて、地鳴りもやんでホッとしたとき、とつぜん大音響がして、海の中に爆発がおこり、 まっかな火柱とともに海底が天までふきあげられ、そのあとに小さな島が出現した。 これが今の「江ノ島」なのだと。
そのとき、天から天女が紫の雲にのり、左右に美しい童女をしたがえて、静かにおりてきた。 そして、どこからともなく美しい音楽がきこえ、 いい香りがただよっていたそうです。 このありさまを、対岸の山のかげから、かたずをのんで見ていた五頭龍は、天女のあまりに美しい姿に、 「なんとまあ美しい女ごだんべ」と波をかきわけ、島にやってきた。 「わしは、このあたりを支配する五頭龍さまじゃが、そなたをわしの妻にむかえたい」と、天女に申しこんだ。
ところが、天女はだまって洞窟の中へはいっていかれ、奥から申されました。 「これ五頭龍とやらに申すぞ。おまえは田畑をおし流し、 罪もないおさな子までのみ、村人を苦しめてきた罪悪をふりかえってみるがよい。そのような者の妻になりはせん。」 五頭龍は、すごすごと沼へもどっていったが、翌日、ふたたび海をわたって江ノ島へやってきました。
「もうし、天女さま、昨日の五頭龍でごぜえますが、わしは、今まで人々を苦しめたことを深くあやまりますだ。 これからは、心をあらため、そのつぐないをするでどうか夫婦になってくだせえ」 「・・・・・・」 「わしを信じてくだされ、天女さま。わしは、もうむかしの五頭龍ではなくなりましただ。どうか夫婦になってくだされ」 「ならば、そちの心を信じて妻になってあげよう」と、いうことで天女と五頭龍は、めでたく夫婦になった。
それからというもの五頭龍は、生まれかわったように情ぶかくなり、ひでりの年には雨をふらせ、みのりの秋には、台風をはねかえし、 津波がおそったときには、波にぶちあたっておしかえし、天女と力をあわせて村人のためにつくしたということです。 しかしそのたびに、五頭龍のからだはおとろえていった。
ある日のこと、五頭龍は、妻にむかって「わたしの命もやがて終わるでしょう。 これからは、山となっていつまでもこの地をお守りしたい」と、いいのこすと、対岸に去って山になったということです。
これが、江ノ島の対岸にある片瀬の「竜口山(たつくちやま)」で、山の中腹には竜の形をした岩があって、 江ノ島の天女をしたうように見つめていたということです。 村人は、心をいれかえた五頭龍を「竜口明神」としてまつり、社を建てました。これが「竜口明神社」です。 「竜口明神」となった五頭龍は、今も片瀬や腰越の人々を、見守りつづけているということです。
―――― おしまい ――――
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