「 ほととぎすと兄弟 」
むかし、ある山の村に、二人の兄弟がいました。 あるとき、弟は山芋を掘ってきて、自分はまずいところを食べ、 兄には、良いところを残しておきました。
ところが、山から帰ってきた兄は、 「まずいところを残しておいたろう」 と、弟を責めに責めました。 弟が、 「それなら、腹の中を調べてくれ」 というと、兄は弟ののどをつきさしてしまいました。 だが弟ののどには、すじばかりのところが残っていました。
これを見た兄は、悲しみと後悔のあまり、ほととぎすになって、 「オトノドツッキッチョ」 「オトノドツッキッチョ」 と、昼千声、夜千声泣きつづけ、えさをさがすひまもなく、ついにはのどが破れて、 血をはくようになってしまいました。
それを見た親切なモズは、えさをとってきて、 いまでも木の枝にさしておくのだと。
「 すずめの孝行 」
むかし、つばめとすずめはきょうだいで、遠くへ働きにいっていました。 ある日、親が死にそうだという知らせがあったとき、すずめはおはぐろをつけていましたが、 やりかけでふだん着のままかけつけたので、死に目に会うことができました。
つばめは、出がけにほお紅をつけたり、着がえをしたりおしゃれをしていたので、 家に着いたときには、おとむらいがすんでいました。 そこで、神様は、親孝行なすずめには、穀物を食べることをゆるし、つばめには、 虫を食べることを命じたということです。
今でも、すずめの口のふちが黒いのは、そのときのおはぐろのあとだといいます。 また、つばめのようにきれいでないのは、ふだん着のままかけつけたからだといいます。 つばめは、姿こそきれいですが、虫しか食べられないのは、 親不孝のばちが当たったからだと。
「 水乞い鳥 (みずくいどり)」
むかし、ろくろく飼い馬の世話もしない、ものぐさなかみさんがいました。 夫が出先からもどってきて、 「馬に水をやったか」 と、たずねると、 「はい、やりました」 と、いつもうそをついて水をやらなかったので、とうとう馬は死んでしまいました。
かみさんは、のちに鳥に生まれかわりましたが、水を飲もうとすると、 自分の胸が赤く映って火のように見え、飲むことができなくなりました。 ただ、雨を待って、ようやくのどをうるおすだけでした。
それからは、みずこいどり、あるいはみずくいどりと呼ばれるようになったと。
「 かけすと雲 」
秋もとうに終わったのに、草原などに行くと、 栗の実が十個くらい一つのところにあるのを見かけることがあります。
これは、かけすがたくわえておいたものですが、 かけすは物をしまっておくときに、空の雲を目じるしにしておくので、 あとで場所が分からなくなってしまうのです。
人が物を置きわすれてさがすのを見ると、 「かけすのようだ」というのは、このことからだと。
―――― おわり ――――
むかし話には、鳥や動物の話がよく出てきます。 人の霊魂は、鳥に生まれかわり、 死後自由に大空を飛ぶことができるとも考えられてきた。 スズメ、ツル、カケス、モズ、ホトトギスなど、かっては日本の里山で、 身近に見られた鳥たちである。
この鳥の話は、いずれもその姿、習性、鳴き声などをもとにして構成されていて、 これらの話をとうして、子供にしつけや、自然の大切さ、道徳心などの情操教育をしたり、 生活の知恵などを伝えるのに、好都合だったのかもしれない。
・ ホトトギスは、古くから「しでのたおさ(田長)」とも呼ばれ、あの世から来て、 農耕を勧める鳥と考えられていました。 ここにある「 ほととぎすと兄弟 」の話は、全国的に分布していて、よく知られた昔話です。
・ 「 水乞い鳥 」は、ミズクイドリとも言われ、アカショウビンという胸毛の赤い鳥のことで、 山中の水辺にすみ、雨の降る前は、高い木のこずえで、よく鳴くとも言われています。
(かながわのむかしばなし50選)より
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