むかし、上作延(かみさくのべ)の村に、広い田んぼや畑をもち、 何人もの人を使っている里長(さとおさ)がおったそうな。
ある田植えのときだったそうな。 里長は、一番若い男に、 「この馬といっしょに、日のあるうちに田のしろかきをすませてこい」 と、いいつけました。
ところが、その馬というのは、村でもひょうばんのあばれ馬。 おいそれと働いてくれる馬ではない。 それに広い広い田んぼ。 とても日のあるうちにしろかきは、できそうにもありません。
若者は、重い足どりで田に向かったが、道ばたの地蔵さまに野花をそなえて、 「地蔵さまや、どうか、日のあるうちにしろかきがすみますように」 と、手を合わせておがみました。 田に行って馬のたづなを引っぱったが、馬は田んぼに入ろうとしません。
「どーど。どー、どー、どーど」 いくらけしかけても、尻をたたいても、馬は田んぼのあぜのところでふんばって、 動こうとしません。 若者は、ほとほとこまってしゃがみこんでしまいました。 また立ち上がって、馬のたづなを力いっぱい引っぱってみましたが、 やっぱり動こうとしません。
まわりの田んぼでは、しろかきをすませて苗を植えているところもあり、 娘たちの歌う田植え唄が聞こえてきます。 「どー、どー、働いてくれんか。 おら、このままじゃ帰れんのじゃ」 若者は、いまにも泣きだしそうになりました。
そのとき、このあたりでは見かけぬお寺の小僧さんが通りかかりました。 「おらが、鼻とりをやってみるから、おめえはそこで休んでいなさいよ」 と、馬のたづなを取ると、どうでしょう、あのいうことを聞かなかった馬が、 小僧さんについて田の中へ入り、汗びっしょりかいて、しろかきをはじめたそうです。
小僧さんも、どろだらけになって、馬の鼻取りをやっていました。 おかげで、日のあるうちにしろかきはおわりました。 「ありがとうございました。どこのお寺の小僧さんですか。 のちほどお礼にあがります。」 と、若者は言いましたが、小僧さんは、名前もお寺も告げずに行ってしまいました。
つぎの朝、延命寺の和尚さんが、いつものおつとめで本尊の地蔵さまに、 お経をあげに行くと、地蔵さまの足が泥だらけになっていたそうな。 「地蔵さまは、本堂の中におられるはず。どうして泥がついているのだろう」
和尚さんが、地蔵さまの足あとをたどっていくと、足あとは寺を出て、 田んぼ道を通り、里長の田んぼのところでとまっていました。 「そうか、里長の田んぼのしろかきを手伝った小僧さんというのは、 うちの地蔵さまじゃ、姿を小僧に変えて出かけていったのじゃ」 と、なったそうな。
それから延命寺の地蔵さまは、『鼻取地蔵』とか、『田植地蔵』とかと、 よばれるようになったということです。
―――― おわり ――――
これは、川崎市高津区上作延の御本尊にまつわる昔話です。 御本尊は、高さ約四十五センチの地蔵尊で、 十五年に一度の御開帳の時でないと拝することはできません。 古くからこの地蔵尊は、『鼻取地蔵』と呼ばれ、 『新編武蔵風土記稿』にも記されている。
地蔵尊が農作業の手伝いをしてくれたという伝説は、全国各地にもあり、 「田植地蔵」、「代かき地蔵」、「水引地蔵」、「草取地蔵」などがあります。 地蔵信仰を広めた人が、同時にこのような伝説を広めたことが考えられますが、 地蔵が子どもの姿になって仕事を手伝ったという例が多いいのは、 貧困のうちに子どもを失うことが多かった昔の農村の生活に、 子どもを救済してくれる地蔵信仰が深く入り込んでいたことを物語っています。
(かながわのむかしばなし50選)より
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