これは藤沢市の藤沢に住む人のお母さんが、実際に見たというお話です。 明治時代の頃のお話だったかもしれません。
これから話すお話は、それほどむかしの話ではありません。 これは、わたしの母が見た話で、よく聞かされたものです。
むかしは、お客が来ると、よく江の島へ海老を食べに行ったものですが、 ちょうど鰹がよくとれていたというから、夏のころだったのでしょうか。 お嫁に行ったおばさんが、乳飲み子をつれて遊びにきたんです。 それでね、このおばさんだけは、乳飲み子があるからというので、往きも、 帰りもお駕籠に乗って行ったんですって。
行った先の料理屋は、ふだんからなじみの家だったのでね、帰りに、 一人じゃさげられないような大きな鰹を、二本くれたんですね。 だれもさげては帰れないからというんで、油っ紙に包んで、 おばさんの乗ったお駕籠の棒の前の方に、しばりつけて帰ってきたわけなんです。
みんなが、おばさんのお駕籠の後ろから、ぞろぞろと歩いて来たんですが、 子供もいれば、お手伝いさんもいて、かなりおおぜいでした。
ところが、あすこの馬喰い橋のところまで来たときに、 後の方からもう一つお駕籠が来るんですね。 見ると、そのお駕籠の中から、長い刀を外へ出していて、私たちを追い越して、 さっさと行ってしまったんです。 もう明治二十九年頃のことでしたから、みんなで「おかしいねー、今どき変わった人もいるもんだ、 まだ刀をはなさないでいる人がいるのかしらん」などと、笑って話したりしているうちに、 すぐ前を歩いているはずのおばさんのお駕籠が、いなくなってしまったんですね。
はて、どこへ行ったのかなとさがしていると、川の向うの、手広の方へ行く道を、 駕籠屋がさっさ、さっさと駆け足で行くんです。 「こりゃたいへんだ」というんで、引っ返して、大急ぎで駕籠屋に追いつくと、 「おい、駕籠屋、何してるんだ、どこへ行くんだ」と言って、横っつらをひっぱたくとね、 ぽかんとしている。 「どこへ行くつもりだ。 こっちだ、こっちだ」って、つれもどしたんですって。
見ると、鰹はもうなくなってね、吊るした縄に尻尾だけが残っていて、 油っ紙も何かでひっかいたように、鰹の皮がひっつていたんですって。 「さては、さっきのお駕籠から、刀を出していると見えたのは、あれは狐の尻尾だったのか。 今夜は、お刺し身を食べようと思ったのに、惜しいことをした」って、 みんなで話しながら藤沢へ帰ってきたそうです。
―――― おわり ――――
片瀬川沿いの道を、馬喰い橋をすぎて少しのぼると、手広へ行く道と、藤沢方面への道が別れる所があります。 この辺りは、むかしは狐が住んでいて、仔をつれて、昼寝をしている狐をよく見かけたものだということです。 かって片瀬山周辺にも狐や狸がたくさんいたのでしょう。今は、昼寝をする場所もないくらい、住宅が建ち並んでいます。 ちなみに、私は以前、江の島の奥津宮の拝殿右側奥にある林の中にたぬきがいるのを見たことがありました。 どうやって島に渡ってきたのでしょうか。もしかして人間に化けて、弁天橋を渡って来たのかもしれませんね。
もし弁天橋を行き交う人の波の中に、ふと見るとお尻から隠し忘れた尻尾をぶら下げた人を見かけたら、この話の続きを聞かせてくださいね。
|