藤沢市の片瀬川(境川)沿いの街道にかかる「馬喰らい橋」という小さな石橋に伝わる昔話です。
むかし、馬喰らい橋のそばの土手のような斜面に、お稲荷さまがあって、お袖狐というきつねを祭っておりました。 そのきつねは、以前には漁師の運ぶ魚をねらって、よくいたずらをしていたんだって。
当時、腰越や片瀬で魚がとれると、人が担いで運ぶか、馬に鞍をつけ、荷を振り分けにして運んでいました。 まだ、氷のない時代ですから、夜通し歩き、原町田から八王子のあたりまで行ったということです。
あるとき、漁師が魚を馬につけて、片瀬の「馬喰らい橋」あたりを通りかかったところ、 若い女の人が歩けなくなったと言って、うずくまっていたそうな。 かわいそうに思った漁師は、魚の上でよければ、馬に乗せてやろうと言って、馬に乗せてやったんですね。 でも漁師は早くから、これはただの女ではないと気がついたので、馬をひきながら、 女の着物の袖を、そーっと馬の鞍へ縛りつけたんだと。 というのも、このあたりにはいたずらきつねがいて、街道を通る人々を困らせていることを、 漁師仲間から聞かされていたからです。
しばらくして、夜が明けてきたので、狐は消えようとしたのですが、 袖を縛りつけられていたので、逃げられません。 とうとう正体がばれてしまいました。
「もう、かんべんしてください」と言って、しきりにあやまるので、もう決して、 いたずらをしないと固く約束させて、放してやりました。
その後、狐のよく出ていた場所に、お稲荷さまを、祭ることにしたのだと言うことです。 そして、馬へ縛りつけるとき、着物の袖をしばったというんで、その狐を「お袖(そで)狐」と呼ぶようになったということです。
昔は、小さなお稲荷さんの祠(ほこら)があったそうですが、いまはどこにあるのかわかりません。
―――― おわり ――――
「馬喰らい橋」は、今は「馬鞍橋(うまくらばし)」と呼ばれる小さな石橋で、 その下を水路のような小さな流れが、すぐ横の片瀬川(境川)へ注ぎ込んでいる。
頼朝が馬の鞍を架けて橋の替りにしたので、馬鞍橋と呼ぶようになったとの言い伝えもあり、 かっては京の都と鎌倉幕府をむすぶ「京鎌倉往還」の街道筋にあたった。 江戸時代後期になり、「江の島詣で」が盛んになると、物見遊山の庶民で賑わうようになった。
以前、この橋のたもとの斜面の草に埋もれるように、小さな祠があったように記憶していたが、 もしかしたらそのお稲荷さんだったかもしれません。 いまでは車の行き交うこの道には、いつしか狐もいなくなり、お稲荷さんの祠(ほこら)も消えてしまったのかもしれませんね。
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