2012/02/04

江の島・天王祭



■ 江の島・八坂神社例祭(別名・天王祭)

  「真白き富士の根、緑の江の島・・・・」と真白き富士の根(嶺)、別名(七里ヶ浜の哀歌:作詞 三角錫子(みすみ・すずこ))にも歌われたこの島は、遠くから見るとまるで海上に浮かぶ亀にも例えられたことから、かつては「金亀山」とも呼ばれていた。

 この周囲4~5キロほどの小さな島は、また伝説の島でもある。 古くは「役の行者」や「弘法大師」が修行し、 頼朝が戦勝祈願のために弁才天を祀り、北条氏が竜神から授かった三枚の鱗を、家紋の「ミツウロコ」にしたと伝えられるなど、信仰と伝説の島でもある。
 
 島内には、海の女神(福岡県/宗像大社の祭神と同じ神)を祀る辺津宮(田寸津比賣命)、中津宮(市寸島比賣命)、奥(沖)津宮(多紀理比賣命)があり、 この三宮と南端にある御窟(おいわや)(現在「岩屋本宮跡」は観光施設として公開)を総称して「江島神社」という。

 三女神は、三神一体で江島大神(古くは江島大明神と称した)と呼ばれ、仏教との習合によって弁財天女の化身とされ、以後海の神、航海安全の神、水の神の他に、 幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神として信仰され、特に江戸時代には多くの参詣者で賑わった島でもある。


 江島神社・辺津宮拝殿の左手、旧神楽殿跡に建てられた八角のお堂「奉安殿(弁天堂)」の隣に、小さな神社がひっそりと建っている。 これが「江島神社」の末社、八坂神社である。

 祭神は京都の八坂神社と同じ「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」。
 この神社がいつごろ末社として創建されたか、はっきりとした記録はないが、その昔、対岸の腰越(小動神社)に祀られていた御神体が大波で流され、 江の島の御窟(御岩屋)前の海中に沈んでいたところを、漁師が拾い上げて江島神社境内に祀ったのが始まりとも言われている。
 
 八坂神社の例祭は、別名「江の島の天王祭」と呼ばれ、湘南を代表する夏祭りとして神奈川の祭50選にも選ばれるなど、 本社・「江島神社」の祭礼より華麗を極めるため、これが江島神社の例祭だと勘違いする人もいるほどである。
 本来7月14日であった祭日は、近年7月14日に近い日曜日・祝日(海の日)に行われるようになり、 多くの観客がこの祭りを楽しみに江の島へ訪れるようになった。
 
 御祭神の「建速須佐之男命」は、日本神話にも出てくる日本古来の神であるが、 仏教伝来以降の神仏習合により、祇園精舎(仏教の聖地)の守護神・牛頭天王(ごずてんのう)の化身とされるようになり、 その祭礼は「天王祭」、「祇園祭」などと呼ばれ、今では日本の代表的な夏祭りとして各地で行われている。
 江の島の八坂神社は、江戸時代「天王社」と呼ばれていたが、明治維新の神仏分離令(しんぶつぶんりれい)による廃仏毀釈(はいぶつきしゃく) により、明治6年(1873)には「八坂神社」と改称された。


 祭りは、約一週間前の「宮だし」(神輿を宮からだし、坂下の大鳥居前の仮宮に安置する)から始まる。  この頃から島内(江の島住民)の男達は、次第に祭り気分でソワソワしてくる。
 祭礼当日、再び神輿を神社まで担ぎ上げ、午前10時頃から江島神社辺津宮境内の神事に始まり、 御祭神を神輿に迎えたところでいよいよ下山(宮だし)となる。
 食堂や土産物屋が並ぶ「宿(シュク)
の通り」と呼ばれる狭い参道の坂道を、各氏子連の奏でる笛や太鼓、三味線の賑やかな天王囃子、竜神囃子、 唐人囃子などのお囃子連の後を、「どっこい、どっこい」の掛け声とともに、いよいよ神輿が下ってくる。



 島の入口、青銅の鳥居前で一休みした神輿は、飾り綱を海中渡御用に取り替えられると、いよいよ噴水公園から仮設のスロープを下り海へと入っていく。
 海中に沈んでいた御神体を島の漁師が拾い上げて祀ったところから、かつては島の漁師だけにしか担ぐことを許さなかった神輿も、 少子高齢化と漁師の後継者不足により、今では全国から集まる神輿愛好者の応援なしにはできなくなっている。

 
 裸に白の六尺褌を締め込んだ担ぎ手達により、神輿が海へと担がれていく。  揉み合いながら沖へと向うと、五色の旗、錦の旗を潮風にひるがえしながら、海上の船で待ち受ける神官からお払いを受け、 清めの水(海水)をかけられると、再び仮設スロープから上陸し、海中渡御(かいちゅうとぎょ)は無事終了する。 この祭りの見所でもある。

 

 上陸した神輿は、聖天島公園(かつて島だった辺りの海岸は、東京オリンピックの際、ヨット競技会場建設のため埋め立てられ一部が公園になっている)の一角で消火栓からホースで塩抜きのための水をかけられると、 東町(漁師町)の一角で木臼の上に乗せられ、世話役たちにより新しい晒しと飾り綱に張り直され、午前中の行事は無事終了となる。  世話役員たちも昼休みに帰っていった。

 これは海中より拾い上げた御神体を船で、聖天島の海岸まで持ち帰り、木臼の上に乗せ、真水で洗ったという言い伝えに習ったものとも言われている。



 午後は、お囃子連を従えて弁天橋を渡り、陸路腰越の小動神社(こゆるぎ)へと向う。
途中、お迎えに来た腰越方の世話役の人たちと、片瀬の「龍口寺」門前で合流した後、八坂神社と小動神社の二基の神輿は、 年一度の再会を喜ぶかのようにして小動神社へと向う。
 一説に、八坂神社と小動神社の祭神は夫婦で、年一度の逢瀬を楽しまれるのだとも言われ、つかの間の再会を終えた神輿は、 夕方江の島へと帰って行く。


 翌日、再び御神霊移しの神事が行われ、神様が無事、神社に帰られると祭りも無事終了、この「天王祭」が過ぎると、 湘南海岸はいよいよ夏本番を迎えるのである。




■ 参考メモ
・ 名 称 : 八坂神社 例祭「天王祭」
       (神奈川の祭50選)
・ 期 間 : 7月14日前後の日曜日
・ 場 所 : 藤沢市江の島
       江島神社境内および江の島周辺
・ 交 通 : 小田急・片瀬江ノ島駅より徒歩15分