・ 1月の表紙画像
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山北の道祖神祭 2014.01.12 |
山北町の山北地区に伝わる小正月の行事。1日目は、各地区に祀られる道祖神で「どんど焼き」がおこなわれ、2日目がこの祭の楽しみとなっている花車と神輿の巡行。
華やかに飾り付けられた花車6台と子ども神輿3台が、子供達の演奏する「川村囃子」の音と共に町内(山北地区)を巡行します。
元々は子ども達が主役の行事だが、近年の少子高齢化により参加者の多くが、かって子供だった人々で、主役が子供から「熟年者の祭」になってしまった感もある。
・ 2月の表紙画像
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吾妻山・菜の花 2014.01.31 |
吾妻山公園は、JR東海道線の「二宮駅」の背後にある標高136.2メートルの小高い丘。
駅北口から公園入口までは徒歩で約5分、さらに約300段の階段を20分ほど登ると、芝生広場のある山頂へ。
山頂からは、360度の展望が開け、北に大山・丹沢山系、東に三浦半島、南に相模湾が広がり、西側の斜面に広がる菜の花畑の向こうには、箱根連山と富士山を望むことができ、国土交通省の「関東の富士見百景」の1つにも選定されている。
・ 3月の表紙画像
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松田山・「子ども館」 2014.03.01 |
松田山(松田町)の中腹にある西平畑は、菜の花と早咲きの桜の名所としても知られ、毎年多くの行楽客でにぎわう。
急斜面を利用して、菜の花や桜の木が植えられ、花の咲きそろう山腹からは、足柄平野からさらに相模湾までを見下ろし、白く輝く富士山を眺めることができる。
また、「桜まつり」(2月下~3月中)の期間中には、公園内にある「子ども館」において、たくさんの「つるし雛」が展示されている。
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愛川町・八菅神社 2014.03.28 |
愛川町・八菅山にある八菅(はすげ)神社は、大宝3年(703年)に修験道の開祖である役小角(えんのおづぬ)、別名を役行者(えんのぎょうじゃ)により七社権現(国常立尊、他六神)を祀り、修法が行われたとされ、その後、山中に七堂伽藍と院坊50余りを有する関東の山岳信仰一大霊地となる。
明治維新の「神仏分離令」と「廃仏毀釈」により、別当・光勝寺は廃され、七社権現は「八菅神社」となり、山内に多数居住していた修験者は還俗し、山麓で帰農した。 春の例大祭では修験道時代の名残の「火渡り」が行われている。
・ 4月の表紙画像
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厚木・相模川(テニスコート) 2014.04.01 |
4月に入りようやく春も本番となり、先週末に関東でも東京、横浜と、「ソメイヨシノ」の開花宣言が発表されたとおもったら、2、3日もしない間にもう満開状態。
平日にもかかわらず、次の週末まで待ちきれない人々で、公園はにぎわっていた。
今年は、いっきに開花がすすみ、そのぶん散るのも早そうだ。
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伊勢原・日向薬師例大祭 2014.04.15 |
日向の里に、春を告げる祭り。一般の参列者も火渡りで今年も無病息災、厄を払う。
・ 5月の表紙画像
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座間・大凧まつり 2014.05.04 |
座間の大凧揚げは、毎年5月4、5日の両日に開催される伝統行事。江戸時代の末期、長男の誕生を祝って揚げられた祝凧が、いつしか村の男児の前途を祝福して、村の青年たちが大凧を作り、揚げるようになったのが始まりと言われている。
14メートル四方、約1トンの百畳敷き巨大な大凧が大空に揚っていく様は勇壮そのもの。「座間市大凧保存会」によって伝統が継承され、神奈川のまつり50選にも選ばれている。
伊勢原・まが玉祭 2014.05.17 |
今年も5月17日・18日の2日間、伊勢原の三之宮・比々多神社で「まが玉祭」が行われた。今回で27回目、毎年この期間の天候が心配されるが、今年は両日とも天候に恵まれた。
1日目の夕刻から行われる「雅楽と舞楽」の演奏は、毎年楽しみにしている。以前は、夕闇を待つかのようにして舞台をライトアップする演出がされていたが、東北の大震災以降、電力節電への配慮もあり、ライトアップは中止されているが、神社の森に流れる雅楽の音色に、暫し悠久の時間を過ごすことができる。
・ 6月の表紙画像
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横浜・蛇も蚊も 2014.06.01 |
「蛇(じゃ)も蚊(か)も」は、約300年前に悪疫が流行したとき、萱(かや)で作った蛇体に悪霊をを封じ込めて海に流したことに始まると伝えられている。
「生麦(なまむぎ)」は、旧東海道沿いにあり、幕末の「生麦事件」で知られた半農半漁の村であった。この行事は、「端午の節句」の行事として旧暦の五月(新暦六月六日)に行われていたが、近年は参加する子供たちにあわせ、学校が休みの6月の第一日曜日に行われるようになった。 萱で作った蛇体を若者・子供たちがかつぎ、「蛇も蚊も出たけ、日和(ひより)の雨け、出たけ、出たけ・・・・」と大声で唱えながら町内をまわり、悪疫退散、無病息災、豊作大漁、そして子供たちの健やかなる成長を願う吉行でもある。
現在は、原地区と本宮地区だけに残されていて、横浜市の無形民俗文化財にも指定されている。
・ 7月の表紙画像
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三増の獅子舞(2014.07.20) |
例年7月中旬、諏訪神社・摂社(せっしゃ)の八坂社(やさかしゃ)祭礼で、獅子舞が演じられる。
獅子舞は、江戸時代中期に始まったといわれ、約300年以上の歴史を持ち、舞の形式はいわゆる「一人立ち三頭獅子舞」と言われるもので、巻獅子(父)・玉獅子(母)・剣獅子(子)の三頭の獅子に、天狗・バンバが舞い手として加わり、さらに日月(にちげつ)の旗各1名・花笠(はながさ・ササラ役)4名・笛師・歌師各数名で構成されている。
かつてこの獅子舞は、門外不出とされ、神社を中心に一町(約109m)より外へ出さぬ掟もあり、舞い手も村内の長男に限られていたと言う。 現在は、県指定無形民俗文化財にも指定されている。
・ 8月の表紙画像
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川崎・小向の獅子舞 2014.08.03 |
川崎市幸区の小向に鎮座する「八幡大神」の例祭に奉納される一人立三頭獅子舞で、享保年間(1716~36)に、日義上人によりこの地に伝えられたされている。 獅子舞は、大獅子・中獅子・女獅子の3頭に仲立ち、さらに囃子手として大太鼓、笛、唄それにササラを奏でる少女達が加わり演じられ、県指定無形民俗文化財にも指定されている。
かつては、八幡神社の例祭日の9月18日、19日に舞われていたが、最近は参加する子供たちの夏休みに合わせて、8月第1日曜日に行われている。午前9時、既に30度近い暑さのなかで、獅子頭を被り、胸に羯鼓(かっこ)をつけた出で立ちで、中腰で飛び跳ねる躍動的な舞に、演じる若者たちも、かなりの体力を消耗する。約20分間、無事に舞い終えたところで、見守っていた地域の人々の暖かいねぎらいの拍手が送られていた。
伊勢原・大山例大祭 2014.08.29 |
神奈川県伊勢原市の大山は、古くより雨乞いの神として信仰を集め、江戸時代には一日1万人以上の参拝者で賑わったという。人々は「大山講」を組織し、入山が許された夏の一時期、大山の神が鎮座する山頂を目指した。
山麓の大山地区は門前町として発達し、現在も宿坊を兼ねた先導師の宿が40軒ほどあり、大山信仰の参拝者は絶えない。
大山阿夫利神社・秋季例大祭では大山の神が、年に一度、阿夫利神社(下社)から山麓の門前町へと下る。
祭りは3日間行われ、門前町の人々にとっては、夏山の賑わいに感謝するとともに、山里に夏の終わりを告げる祭りでもあります。
祭りの最終日、大山の神が、再び下社へと帰って行くと、山里にも秋の気配が訪れる。
・ 9月の表紙画像
川崎・菅の獅子舞 2014.09.14 |
神奈川県川崎市多摩区の「菅の薬師堂」の祭礼に、境内にある土俵で、「一人立ち三頭獅子舞」が奉納される。
一説には、鎌倉時代にこの地の領主であった稲毛氏が薬師堂を建立した際に、子供に獅子の舞を舞わせたのが始まりとされているが、近隣に同様の獅子舞が継承されていて、いずれも戦国後期から江戸中期にかけて五穀豊穣・疫病退散などの願いをこめて奉納していたことから、同様にこの頃伝わったと考えられている。 現在では、9月12日に近い日曜日に、県指定無形民俗文化財として地元の中学生達により継承されている。
・ 10月の表紙画像
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横浜・牛込の獅子舞 2014.10.12 |
神奈川県横浜市青葉区のあざみ野の「神明社」(土:宵宮)と新石川の「驚神社」(日:本祭)で10月上旬の土・日に「一人立ち三頭獅子舞」(神奈川県指定・無形民俗文化財)が奉納される。 地域の五穀成就、天下泰平、悪霊・疾病退散を願って舞う。
江戸時代には、武蔵国都筑郡石川村牛込の地名があり、鎌倉時代には源頼朝の名馬「するすみ」や畠山重忠の名馬「三日月」もこの石川村から献上されたと伝えられるなど、馬の産地でもあったところから「馬を敬う」の二字を合成して「驚(おどろき)神社」となったという社名の由来もある。
広大な丘陵地に田畑と人家が点在し、野うさぎ、タヌキ、キツネ、イタチが生息していた山野も、昭和50年ころから急速な宅地開発により、現在はその面影もない。
・ 11月の表紙画像
伊勢原・大山寺の紅葉 2014.11.22 |
神奈川県伊勢原市の大山は、相模平野を見下ろす標高1251.7メートルの霊峰。 雨降山や阿夫利山などとも呼ばれ古くから雨乞いの神として信仰を集め、江戸時代には「大山講」と呼ばれる組織が各地に結成されると、関東一円から多くの信者が「大山詣で」と称し参拝に訪れた。
山腹にある「大山寺」は、奈良時代の高僧・良弁僧正により現在の阿夫利神社・下社が建つ場所に不動堂などを設けたことに始まると伝えられ、真言密教の山岳修験道場の古刹として知られている。 明治維新の廃仏毀釈で一時廃寺になったが、その後現在の場所に再建され、関東の三大不動として今も訪れる人が絶えない。
秋の紅葉シーズンには、近年ライトアップが行われるようになり、県下の紅葉の名所として多くの観光客が訪れるようになった。 今年も15日~24日まで行われていて、3連休の初日となった本日(22日)もちょうど見頃となった紅葉を楽しみに多くの人でにぎわっていた。 紅葉のシーズンが終わると山麓の門前町もそろそろ冬支度の季節となる。
・ 12月の表紙画像
伊勢原・大山大祓式 2014.12.28 |
大祓(おおはらえ)は、年に2回、6月と12月の晦日(みそか)(新暦では6月30日と12月31日)に行われる除災神事である。
犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、6月の大祓を「夏越の祓(なごしのはらえ)」、「夏越神事」、「六月祓」などと言い、12月の大祓を「年越の祓(としこしのはらえ)」と言う。
その歴史は古く、飛鳥・奈良時代には宮中の神事として、国民の罪や穢れ・災厄の除災と無病息災を願った。 一時、行事は衰退するも、江戸時代になり復活、明治時代になり、全国の神社でも行われるようになったと言われる。
「夏越の祓」は、猛暑の夏を無病息災で無事越えられるよう願い、「年越の祓」では、新年を迎え、更に厳しい寒さの冬を越えられるよう、清らかな心身と、無病息災を願い、人形(ひとがた)の紙に息を吹きかけることで身体の穢れや罪を移し、それを川に流したり、お焚き上げにより除災する。 さらに、茅の輪を潜り罪や穢れ・災厄を茅(カヤ)に移すことで身を清め、無病息災を得ようと願う神事。 「年越の祓」が終わると、大山の門前町も初詣の参拝客を迎える準備で忙しくなる。
近年、「年越の祓」は、除夜・初詣などの行事等で神社も忙しい為か、大晦日ではなく前週、前々週の土曜・日曜に行うところが多くなった。