2015/01/08

寒川神社の武佐弓祭


寒川神社の武佐弓祭


■ 寒川神社

寒川神社・神門 2015.01.08
寒川神社は相模国(さがみのくに)の一ノ宮で、『延喜式』・相模十三社のうち、ただ一つの”大社”であり、旧社格は国幣中社。

 御祭神については古くより諸説あり、古代では「寒河神」といわれ、近世では八幡神(応神天皇)とされ、他にも菊理媛、素盞鳴尊、稲田姫命とする説もある。

 現在の祭神は、寒川比古命 (さむかわひこのみこと)・寒川比売命 (さむかわひめのみこと)の2柱で、「寒川大明神」と総称され、関八州(関東一円)の裏鬼門(南西の方位)に位置することから、古くより八方除の守護神として信仰されてきた。

 鬼門(きもん)とは、北東の方角で陰陽道(おんみょうどう・おんようどう)では、常に邪鬼・悪鬼の出入りする門戸で、不吉な方角とされ、鬼門と正反対の南西の方角である裏鬼門(うらきもん)も、、鬼門と同様に不吉な方角として忌み嫌われていた。

 寒川神社の創建年代は不詳であるが、『続日本後紀』に仁明天皇承和十三年(846)神階従五位下を授けられたとの記述があることなどから、これ以前にすでにこの地に祀られていたものと思われ、千五百年以上の歴史を有する相模国有数の古社としても知られる。




■ 武佐弓祭(ムサユミサイ)

寒川神社・本殿 2015.01.08
寒川神社の武佐弓祭は、新年・七草の翌日に行われ、今年一年の吉凶を占う新春恒例の神事。

 一般には、歩射(ブシャ)・奉射(ブシャ)・ビシャ・奉射(ホウシャ)・武射(ムシャ)・的射(マトイ)などと呼ばれることも多く、他に県下では武佐弓(ムサユミ):寒川神社、的祭(マトマツリ):田名八幡神社、弓始(ユミハジメ):鶴岡八幡宮、歩射(ヤブサメ):長尾神社、歩射(ヤブサメ):白岩神社(現在は3月に行われているが元は1月七日に行われていた)などの呼び名もある。

 いずれも正月・年初めに破魔の目的と、年占いの意味を兼ねた神事で、「御弓神事」、「蟇目神事」、「弓祈祷神事」なども同類のものと考えられる。



武佐弓祭・的 2015.01.08
1月8日午前10時、神職・宮総代らが本殿に参拝し、祝詞(のりと)を受け身を清めたのちに、神門を入って左側の斎庭に催けられた的場に入場し着席する。

 的(マト)は、大的(直径130センチほど)、竹で円形に編まれたものに紙を貼り、中央に変形の鬼字を描いたもので、甲・乙・心の三文字を合体したものとも言われている。

 その鬼字の大的の上に中的(23センチほど)、さらにその上に小的(18センチほど)と、三つの的を重ねたものを一つの的とし、左右2本の笹持ち青竹を立てたものに、さらに上下2本の横竹をわたし、その枠の中央に的を吊るしたもの。

 青竹には、左右に大麻(アサ)の束が懸けられていて、神事が終了後に妊婦の安産や厄除けの御守・縁起物として参詣者に頒けられる。
 また、青竹は、以前は12本、閏年には13本立て、祭事が終わった後、相模川沿岸の一宮村と対岸の田村集落の舟夫に頒与され、洪水除けの呪具として渡船の棹(さお)に使われたが、明治維新頃には廃絶し、今は細い青竹2本だけになったと言われている。



武佐弓祭・射手 2015.01.08
射手は、的の前方、約8メートルほど隔てて敷かれたゴザの上に神職2人が並んで座り、いずれも木綿(今は紙幣(かみぬさ))を付けた榊(さかき)の弓(今は樹種を選ばず境内の雑木を用いる)を持つ。

 矢は篠竹、矢羽は奉書紙、2本。 神職は奏楽の間に神歌:「千早振る 神の御前の武佐の的 悪魔を祓い 国ぞおさむる」を唱えるとあるが、今は略されているようだ。

雅楽の笛の音が流れるなか、まず右側の射手から座ったままで矢を射り、次いで左側の射手が矢を射る。
 次に左右を入れ替わり、さらに片膝をついた状態で、再び右側の射手から矢を放つ。

 矢が的に当たるたびに、太鼓が鳴らされ、数取り役が白い旗を揚げ、矢が的に当った事を知らせる。

 最後に再び左右を入れ替わり、元の位置に戻ると立った状態で右側の射手から矢を放ち、互いに合計3回矢を射ったところで神事は終了となる。

 占いは、的に当たった本数や命中具合によって宮司が吉凶を占うものとされ、今年は景気を占い、「総体的にはそれほど急上昇の景気回復は見込めない」との結果だったとか。













◆ 参考メモ
  
  ・ 名 称 : 寒川神社 武佐弓祭
  ・ 期 間 : 1月8日(七草がゆの次の日)
  ・ 場 所 : 神奈川県高座郡寒川町宮山3916
  ・ 交 通 : JR相模線の「宮山」駅下車、徒歩5分