足柄上郡中井町井ノ口の米倉寺(べいそうじ)に木彫りの竜がある。 江戸時代の名工、左甚五郎(ひだりじんごろう)が彫ったという『阿の竜』と『吽の竜』の二頭の竜である。 太い丸柱を上るようにからみつき、まるで生きているかのように、目を光らせ、 今にも飛びかかってきそうである。 左甚五郎の作といわれるものには、これらのように伝説として語られるものも多く、 これもそのなかの一つであろう。
むかし、寺のちかくに、一人のばさまが住んでおった。 ばさまは、寺の竜がこわくて、寺参りにいっても、そこそこに帰ってくるのだった。
ある年の夏だった。 米倉寺から、葛川(くずかわ)にかけての田や畑が、なにものかに荒らされることがあった。 「おれたちが、汗水たらして作った稲や野菜畑を荒らすなんてとんでもねえ」 「それも、いつも決まったところだ。寺から葛川までのあいだにある田や畑だ。 いったいだれのしわざだ」
村では、竹槍(たけやり)を持った元気のいい若者を立たせて、見張っていたが、 何としてもつかまえることができなかった。 でも、野荒らしは続いていた。それも、作物をぬすんでいくのではない。 作物をなぎたおしていくのだ。 そのあとが、一すじの道のように残っていた。
「まるで大蛇の通ったあとのようじゃ。それに二つの道ができている」 村人は、なぎたをされた稲を起こしていた。雨がいく日もふらないと、野荒らしは、はげしくなった。
ある夜のこと。ばさまが、里へいって葛川ぞいに帰ってくると、 川の中で、水しぶきをあげて泳いでいるものがいた。 「こんな夜更けに、いったいだれだろう。村の若い衆かな」
ばさまは、木のかげにかくれてうかがっていた。 川の中には、火の玉のように、光るものが四つうごいている。 しばらくすると、何か黒い大きなものが、水しぶきをあげて川から上がり、 からだをうねらせて畑の方へ向かっていった。
「あっ! りゅ、竜じゃ。米倉寺の竜じゃっ!」 ばさまがさけんだとき、黒雲がとつぜんまきおこり、月をかくし、あたりをやみにしたかと思うと、 濁流がうなって流れてきた。 ばさまは、命からがら家へ帰ったが、つぎの日は、昨夜のことがうそのように、空はカラリと晴れていた。
ばさまは、昨夜、葛川で見たことを、村の衆に話した。 「まさか、米倉寺の竜が。あれは彫りものの竜だぜ。それが川へ水を飲みにくるなんて」 と、だれも信じてくれなかったが、ばさまがまちがいなく、この目で見たというので、 寺へ行ってみることにした。
ばさまは、こわがって行こうとしなかったが、むりやり連れて行かれた。 おそるおそる竜のところへ行ってみると、竜のからだは、びっしょりとぬれ、 田や畑のどろがついていた。
「や、やっぱり野荒らししていたのは。竜だ。きっと、葛川へ水を飲みに出たのだ」 と、いうことになって、村人は、竜が水を飲みに出られないようにと、目に角釘を打ちこみ、 からだを切れぎれにしてしまったのだと。
―――― おしまい ――――
(かながわのむかしばなし50選)より
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