2010/05/15

九頭竜明神


【  15.九頭竜明神  / (箱根町・芦ノ湖)  】

  
 足柄上郡中井町井ノ口の米倉寺(べいそうじ)に木彫りの竜がある。 江戸時代の名工、左甚五郎(ひだりじんごろう)が彫ったという『阿の竜』と『吽の竜』の二頭の竜である。 太い丸柱を上るようにからみつき、まるで生きているかのように、目を光らせ、 今にも飛びかかってきそうである。
  左甚五郎の作といわれるものには、これらのように伝説として語られるものも多く、 これもそのなかの一つであろう。




  むかし、寺のちかくに、一人のばさまが住んでおった。
  ばさまは、寺の竜がこわくて、寺参りにいっても、そこそこに帰ってくるのだった。

  ある年の夏だった。
  米倉寺から、葛川(くずかわ)にかけての田や畑が、なにものかに荒らされることがあった。
「おれたちが、汗水たらして作った稲や野菜畑を荒らすなんてとんでもねえ」
「それも、いつも決まったところだ。寺から葛川までのあいだにある田や畑だ。
いったいだれのしわざだ」

  村では、竹槍(たけやり)を持った元気のいい若者を立たせて、見張っていたが、 何としてもつかまえることができなかった。
  でも、野荒らしは続いていた。それも、作物をぬすんでいくのではない。
作物をなぎたおしていくのだ。
そのあとが、一すじの道のように残っていた。

「まるで大蛇の通ったあとのようじゃ。それに二つの道ができている」
村人は、なぎたをされた稲を起こしていた。雨がいく日もふらないと、野荒らしは、はげしくなった。

  ある夜のこと。ばさまが、里へいって葛川ぞいに帰ってくると、 川の中で、水しぶきをあげて泳いでいるものがいた。
「こんな夜更けに、いったいだれだろう。村の若い衆かな」

  ばさまは、木のかげにかくれてうかがっていた。
川の中には、火の玉のように、光るものが四つうごいている。
  しばらくすると、何か黒い大きなものが、水しぶきをあげて川から上がり、 からだをうねらせて畑の方へ向かっていった。

「あっ! りゅ、竜じゃ。米倉寺の竜じゃっ!」
ばさまがさけんだとき、黒雲がとつぜんまきおこり、月をかくし、あたりをやみにしたかと思うと、 濁流がうなって流れてきた。
  ばさまは、命からがら家へ帰ったが、つぎの日は、昨夜のことがうそのように、空はカラリと晴れていた。

  ばさまは、昨夜、葛川で見たことを、村の衆に話した。
「まさか、米倉寺の竜が。あれは彫りものの竜だぜ。それが川へ水を飲みにくるなんて」
と、だれも信じてくれなかったが、ばさまがまちがいなく、この目で見たというので、 寺へ行ってみることにした。

  ばさまは、こわがって行こうとしなかったが、むりやり連れて行かれた。
  おそるおそる竜のところへ行ってみると、竜のからだは、びっしょりとぬれ、 田や畑のどろがついていた。

「や、やっぱり野荒らししていたのは。竜だ。きっと、葛川へ水を飲みに出たのだ」
と、いうことになって、村人は、竜が水を飲みに出られないようにと、目に角釘を打ちこみ、 からだを切れぎれにしてしまったのだと。



―――― おしまい ――――


(かながわのむかしばなし50選)より

  ● 九頭竜明神・解説文  

   この伝説の主人公の一人、万巻上人の名は、人名辞典の類には出てきませんが、 関東地方のあちらこちらに事跡が伝説・伝承として伝わっています。
  満願が本来の名だが、毎日、日課を決めて経文を読み、ついに一万巻を読んだので、 万巻上人とよばれるようになった、ともいわれています。

  諸国の霊地を巡り歩き、常陸(ひたち・茨城県)の鹿島神宮に初めて神宮寺を建て、 また、箱根に「箱根三所権現(はこね・さんしょ・ごんげん)」を建てたとも伝えられている。
  熱海温泉についても、次のような伝承が残されている。

  万巻上人が、鹿島から箱根へ渡る途中、海上を見渡すと、波間に煙が上がり、炎さえ出て、魚が死んでいた。
  立ち止まって経を読んでいると、薬師如来が白髪の老人となって現われ、 「汝の仏力をもって、温泉を海中から山里に移し、病気治療に役立てよ」と教えて、消え失せた。
  上人は、海岸の洞に入って断食をして祈ること三七日、満願に至って、海中の温泉は止まり、 山の間から噴出する霊泉に変わったという。

  万巻上人が、実在の人物かどうか定かではないが、各地に残された事跡から考えると、 一人の人物ではなく、修行僧の一団に万巻あるいは満願と称する人々がいて、 それぞれ伝承を残したのだとも推測される。

  九頭竜は、仏教では密教を守護する神とされている。もともとは、 中国からもdたらされた想像上の動物であるが、竜神として祀られ、時には、五頭龍や八竜など様々な姿で現れる。

  湖水へ神供を投げ入れる神事では、このほかにも近江(おうみ・滋賀県)の日枝神社(ひえ・じんじゃ)で、 四月十四日の「神幸祭(しんこうさい)」に行われる『粟御供献備式(あわごくけんびしき)』が知られている。
  また、遠江(とうとうみ・静岡県)の桜の池で、秋の彼岸に行われる「納櫃祭(のうひつさい)」では、 氏子の青年が、冷たい池の中心まで泳いで行って、強飯(こわめし)を入れたお櫃を水中に沈めて、 竜神にささげ吉凶を占う神事が伝わっている。



 (記念碑/その他)
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