戦国のむかし、座間の鈴鹿神社の北にある村に、渋谷高間(しぶや・たかま)というさむらいが、 住んでいたそうな。 家族は妻と、小桜(こざくら)という娘の三人暮しで、幸せな毎日を送っていましたが、 ふとしたことで妻が亡くなった。 高間は、小桜がまだおさないので、母親がいなくてはこまるだろうと考えた。
そこで、お松という女を、二度目の妻にむかえた。 そのお松との間にも、女の子が生まれた。名を小柳とつけた。
そのうち、高間は、戦国の世のみだれを、はかなんだものか、 甲州上野原(こうしゅう・うえのはら)の報福寺をたずねて、そこで出家してしまった。 父にすてられた小桜と小柳は、悲しい思いをしたが、それでもきょうだい仲よく暮らしていた。
だが、お松は、まま子の小桜を、こころよく思っていませんでした。 いつも、ひどい仕打ちをしていましたが、ある日、とうとう小桜を殺してしまい、 桜田(さくらだ)というところにある、沼の中へしずめてしまった。 それを知った小柳は、姉のあとを追って、同じ沼に身を投げてしまった。
小柳を亡くしてはじめて、お松は、自分のおかした罪のおそろしさに気づいたが、 もう取り返しがつかなかった。 お松が、小桜を殺したことは、村じゅうの人の間に知れわたった。 お松は、人殺しの罪で、お仕置きにされることになった。
そのころ相模川は、大雨がふると、洪水がおき、たびたび土手が切れて、 田んぼや畑が流され、作物ができないため、村人は苦しんでいた。 土手を築く工事の途中で、洪水にあい、せっかくできかかった土手が、 流されてしまう。 そういうことをくり返していた。
村人たちは、「これは、水神さまのたたりにちがいない」と考えた。 そして、水神さまのいかりをしずめるためには、人柱(ひとばしら)を、立てるよりほかに、 方法がないということになった。 だが、だれも人柱になりたいなどと、思う者などいません。 そこで、死刑に決まったお松にそのことを話すと、お松は、自分の罪のつぐないになるならばと、 人柱になることを決めました。
お松は、生きたまま人柱として埋められ、その上に土手がきずかれました。 そして土手は、大水にも流されることもなく、長く村人の生活を守りました。 村人たちは、これを「お松の土手」とよんで感謝しました。
それから数年して、諸国修行の旅から帰った高間は、このようにして妻も娘も、 すべてうしなったことを知り、寺を建てて、亡き三人の冥福(めいふく)を祈ったということです。 そして、二人の娘が死んだところには、桜と柳の木を植えたということです。
―――― おしまい ――――
(かながわのむかしばなし50選)より
|