2010/05/18

小桜姫と小柳姫


【  18.小桜姫と小柳姫  / (座間市)  】






  戦国のむかし、座間の鈴鹿神社の北にある村に、渋谷高間(しぶや・たかま)というさむらいが、 住んでいたそうな。
  家族は妻と、小桜(こざくら)という娘の三人暮しで、幸せな毎日を送っていましたが、 ふとしたことで妻が亡くなった。
  高間は、小桜がまだおさないので、母親がいなくてはこまるだろうと考えた。

  そこで、お松という女を、二度目の妻にむかえた。
  そのお松との間にも、女の子が生まれた。名を小柳とつけた。

  そのうち、高間は、戦国の世のみだれを、はかなんだものか、 甲州上野原(こうしゅう・うえのはら)の報福寺をたずねて、そこで出家してしまった。
  父にすてられた小桜と小柳は、悲しい思いをしたが、それでもきょうだい仲よく暮らしていた。

  だが、お松は、まま子の小桜を、こころよく思っていませんでした。
  いつも、ひどい仕打ちをしていましたが、ある日、とうとう小桜を殺してしまい、 桜田(さくらだ)というところにある、沼の中へしずめてしまった。
  それを知った小柳は、姉のあとを追って、同じ沼に身を投げてしまった。

  小柳を亡くしてはじめて、お松は、自分のおかした罪のおそろしさに気づいたが、 もう取り返しがつかなかった。
  お松が、小桜を殺したことは、村じゅうの人の間に知れわたった。
お松は、人殺しの罪で、お仕置きにされることになった。

  そのころ相模川は、大雨がふると、洪水がおき、たびたび土手が切れて、 田んぼや畑が流され、作物ができないため、村人は苦しんでいた。
  土手を築く工事の途中で、洪水にあい、せっかくできかかった土手が、 流されてしまう。
そういうことをくり返していた。

  村人たちは、「これは、水神さまのたたりにちがいない」と考えた。
そして、水神さまのいかりをしずめるためには、人柱(ひとばしら)を、立てるよりほかに、 方法がないということになった。
  だが、だれも人柱になりたいなどと、思う者などいません。
そこで、死刑に決まったお松にそのことを話すと、お松は、自分の罪のつぐないになるならばと、 人柱になることを決めました。

  お松は、生きたまま人柱として埋められ、その上に土手がきずかれました。
そして土手は、大水にも流されることもなく、長く村人の生活を守りました。
村人たちは、これを「お松の土手」とよんで感謝しました。

  それから数年して、諸国修行の旅から帰った高間は、このようにして妻も娘も、 すべてうしなったことを知り、寺を建てて、亡き三人の冥福(めいふく)を祈ったということです。
  そして、二人の娘が死んだところには、桜と柳の木を植えたということです。


―――― おしまい ――――


(かながわのむかしばなし50選)より

  ● 小桜姫と小柳姫・解説文  

  人柱の話は、全国に分布していて、神奈川県下では、この他に、 横須賀の「夫婦橋(めおとばし)」、横浜の「お三の宮」などが知られている。

  ここでは、継子(ままこ)を殺した母親が、罪の償いに人柱になるという話になっているが、 むかしは、実際、罪人が刑罰の意味で、人柱にされることがあったのだろうか。

  ここでは、継母(ままはは)が、継子(ままこ)を、いじめるといった昔話によくあるまま子いじめの話と、 人柱伝説が結び付けられたものと思われる。

  なお、この中に出てくる上野原(山梨県北都留郡上野原町)の報福寺とあるのは、 曹洞宗・保福寺ではないかと言われている。


 (記念碑/その他)
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