このはなしは、大和市下福田の蓮慶寺に祀られている優婆尊尼(うばそんに)の像に伝わる伝説です。 糸と言う名の女性が、山姥となって隠れ住んだ小高い森は、「姥山」と呼ばれ、昼でも亡霊が出るといわれて、 通る人も無くさびしい所でしたが、今は新しい住宅地がひろがり、伝説を物語るものもありません。
むかし、むかし。 福田村の境橋の近くに、小林大玄(こばやし・だいげん)という山伏が、 糸(いと)という妻と暮らしていた。 大玄は、村々をまわって、病に苦しむ人のために祈っていたが、糸は夫とはうって変わって気が荒く、 その上大酒のみだった。 大玄は、何度も糸をいさめたが、行いは改まらず、大玄をほとほとこまらせていた。
ある日、大玄はさびしそうに、村をはなれていった。 糸は、大玄がいなくなってはじめて、自分が悪かったことに気づいたが、すでにおそかった。 糸は、大玄をしたって、あの村、この村とたずねまわったが、大玄の行方は分からなかった。 しかし、今さら村へもどることもできず、山に入って暮らすようになった。
山の中でのひとりぼっちの暮らしで、ますます気の荒くなった糸は、やがて道行く人を、 おそうようになった。 かみをふりみだし、目はするどく光り、まるで山姥(やまんば)のようだったという。
村の子どもが夜泣きをすると、親は、「山姥の糸に連れていかれるぞ」とおどした。 すると子どもは、ぴたりと泣きやんだ。 そして、ほんとうに、糸にさらわれた子どもがいるという、うわさもひろまり、山へはだれも行かなくなった。
「なんとかして、糸をかたずけなくてはならない」 村では、寄り合いがもたれ、糸を亡き者にすることに決まった。
その日がきた。春だったそうな。 桜株(さくらかぶ)とよばれている小高いところで、のめや歌えの花見の宴(えん)が開かれた。 糸は、それを山の奥から、うらやましげにながめていた。
日がしずむと、村の衆(しゅう)は、毒を入れた酒を置いて帰っていった。 「あの酒好きの糸だ、きっとのむぞ」 村の衆のいったとおりになった。 はらのへった糸は、夜をまってやってきた。 そして残っていた酒をのみほした。
つぎの日、村人が行ってみると、糸は苦しみもだえたのか、まわりの草をかきむしって息たえていた。 それからというもの、桜株には、糸が幽霊となって出た。
ある日、身分の高い都の人が村に来た。 その人は、糸の幽霊の話を聞くと、糸が埋められたところに行って、花をそなえ、 "さがみなる 福田の里の山姥は いついつまでも 夫(つま)やまつらむ" と、手向(たむ)けの歌を詠んだ。
「村の方がた、糸さんを祀って供養してあげなされ。 糸さんは、大玄殿が帰ってくるのをまっておられた。 やさしい妻の心も、もっておられたのじゃ」 都の人は、そういうと村をはなれていった。
その後、糸の幽霊はあらわれなくなり、村の子どもらは、日が暮れても安心して遊んでいた。 村人たちは、自分たちも糸を苦しめていたことに気づき、糸の霊にわびた。 そして、供養のために鎌倉の建長寺(けんちょうじ)から、優婆尊尼(うばそんに)の像をいただいてきて祀った。
その像は、下福田の蓮慶寺(れんけいじ)に安置され、「子育てうばさま」とあがめられた。 子どもが百日ぜきにかかったら、お詣りするとすぐなおるといい、一心におがむと、やさしくほほえみをうかべるという。
そして、糸がこもっていた山は、いつとはなしに「姥山」とよばれるようになったということです。
―――― おしまい ――――
(かながわのむかしばなし50選)より
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