2010/05/19

姥 山


【  19.姥 山(うばやま)  / (大和市)  】

 
 このはなしは、大和市下福田の蓮慶寺に祀られている優婆尊尼(うばそんに)の像に伝わる伝説です。
  糸と言う名の女性が、山姥となって隠れ住んだ小高い森は、「姥山」と呼ばれ、昼でも亡霊が出るといわれて、 通る人も無くさびしい所でしたが、今は新しい住宅地がひろがり、伝説を物語るものもありません。

 


  むかし、むかし。
  福田村の境橋の近くに、小林大玄(こばやし・だいげん)という山伏が、 糸(いと)という妻と暮らしていた。
  大玄は、村々をまわって、病に苦しむ人のために祈っていたが、糸は夫とはうって変わって気が荒く、 その上大酒のみだった。
  大玄は、何度も糸をいさめたが、行いは改まらず、大玄をほとほとこまらせていた。

  ある日、大玄はさびしそうに、村をはなれていった。
  糸は、大玄がいなくなってはじめて、自分が悪かったことに気づいたが、すでにおそかった。
  糸は、大玄をしたって、あの村、この村とたずねまわったが、大玄の行方は分からなかった。
しかし、今さら村へもどることもできず、山に入って暮らすようになった。

  山の中でのひとりぼっちの暮らしで、ますます気の荒くなった糸は、やがて道行く人を、 おそうようになった。
かみをふりみだし、目はするどく光り、まるで山姥(やまんば)のようだったという。

  村の子どもが夜泣きをすると、親は、「山姥の糸に連れていかれるぞ」とおどした。
すると子どもは、ぴたりと泣きやんだ。
そして、ほんとうに、糸にさらわれた子どもがいるという、うわさもひろまり、山へはだれも行かなくなった。

「なんとかして、糸をかたずけなくてはならない」
  村では、寄り合いがもたれ、糸を亡き者にすることに決まった。

  その日がきた。春だったそうな。
  桜株(さくらかぶ)とよばれている小高いところで、のめや歌えの花見の宴(えん)が開かれた。
糸は、それを山の奥から、うらやましげにながめていた。

  日がしずむと、村の衆(しゅう)は、毒を入れた酒を置いて帰っていった。
「あの酒好きの糸だ、きっとのむぞ」
村の衆のいったとおりになった。
はらのへった糸は、夜をまってやってきた。
そして残っていた酒をのみほした。

  つぎの日、村人が行ってみると、糸は苦しみもだえたのか、まわりの草をかきむしって息たえていた。
それからというもの、桜株には、糸が幽霊となって出た。

  ある日、身分の高い都の人が村に来た。
その人は、糸の幽霊の話を聞くと、糸が埋められたところに行って、花をそなえ、
"さがみなる 福田の里の山姥は いついつまでも 夫(つま)やまつらむ"
と、手向(たむ)けの歌を詠んだ。

  「村の方がた、糸さんを祀って供養してあげなされ。
  糸さんは、大玄殿が帰ってくるのをまっておられた。
  やさしい妻の心も、もっておられたのじゃ」
都の人は、そういうと村をはなれていった。

  その後、糸の幽霊はあらわれなくなり、村の子どもらは、日が暮れても安心して遊んでいた。
村人たちは、自分たちも糸を苦しめていたことに気づき、糸の霊にわびた。
そして、供養のために鎌倉の建長寺(けんちょうじ)から、優婆尊尼(うばそんに)の像をいただいてきて祀った。

  その像は、下福田の蓮慶寺(れんけいじ)に安置され、「子育てうばさま」とあがめられた。
子どもが百日ぜきにかかったら、お詣りするとすぐなおるといい、一心におがむと、やさしくほほえみをうかべるという。

  そして、糸がこもっていた山は、いつとはなしに「姥山」とよばれるようになったということです。


―――― おしまい ――――


(かながわのむかしばなし50選)より

  ● 姥 山・解説文  

  糸が住んでいたいたという福田村は、今の大和市の南部にあり、 大永四年(1524)頃に、福田村の名が付けられている。
  この辺りは、むかし九人の人によって開拓された土地といわれ、 その中に小林という姓の人がいたということですが、 これが小林大玄の先祖であるかは、さだかではない。

  小林大玄は、医者とも修験者ともいわれている。

  山姥は、山中にすむ女の妖怪で、昔話によく語られてきました。
人を食べる妖怪として語られていますが、一方では、「福の神」や、 「子育ての神」として語られることもありました。

  糸の供養のために鎌倉の建長寺から勧請した優婆尊尼(うばそんに)は、 以前は、福田村の道端の一堂に安置されていて、堂は村人の集会、娯楽の場に利用されていた。
  また、優婆尊尼は、子育ての守り神、特に百日ぜきに、霊験あらたかであるとされていて、 科学や医療の知識も十分でなかった昔は、何か得体の知れないものへの恐怖感がまた、 霊力を生み、民間信仰の対象になったのかもしれない。

  今は、大和市下福田の蓮慶寺に安置されているという。 


 (記念碑/その他)
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