大磯町虫窪の県道わきに、石の地蔵菩薩像があり、 「イボとり地蔵」として、近隣の人々の信仰をあつめていましたが、 ここには以前、別の石仏があり、「泣ヶ原の地蔵さん」と呼ばれていたといいます。 石仏はその後盗難にあい、現在の地蔵菩薩像は、南足柄の最乗寺から招来し、 祀り直したものだということです。このはなしは、「泣ヶ原の地蔵さん」とよばれた石仏に伝わる伝説です。
むかし、平塚(ひらつか)の在(ざい)の土屋(つちや)に、 仲むつまじい若夫婦(わかふうふ)がおった。 二人の仲(なか)は、村でも評判(ひょうばん)だった。
ある秋の取入れがすんだ時、夫は村の仲間二人と連れだって、 お伊勢参(いせまい)りに出かけた。 若い妻は、夫が見えなくなるまで見送っていた。
お伊勢参りに行った三人は、ぶじにお参りをすませると、 土産(みやげ)を手に家へと急いだが、大井川(おおいがわ)まで来ると、 上流にふった雨で水かさがまし、川どめとなっていた。 三人は、川をわたることができず、金谷宿(かなやじゅく)で、 川どめがとかれるのを今か今かとまっていた。
しかし、三日たっても、四日たっても川どめは、 とかれなかった。 若い妻を残してきた男は、なんども川会所(かわかいしょ)へ行っては、 川どめの立て札を見て、重い足どりで宿へもどると、妻を思いうちしずんでいた。 とうとうその夜、男は仲間(なかま)がとめるのもきかず、 ふりきるようにして川を渡りはじめたが、川の流れが強く、 川の中ほどまで来たとき、濁流(だくりゅうに)におし流されてしまった。
やがて川どめがとかれ、連(つ)れの二人は土屋に帰ってきたが、 出むかえていた男の妻には、かわいそうでどうしてもほんとうのことが言えず、 「急に用事(ようじ)ができたといって、伊豆(いず)の方へ行ったよ」 「なんでも舟で帰ると言っていたよ」 と、その場のがれに、うそをついてしまった。
「伊豆へ、いったいどんな用事ができたのでしょう。 出かける前、わたしには、そんなこと一言(ひとこと)もいっていきませんでしたのに 」 と言うと、若い妻はさびしそうに帰っていった。
つぎの日から、相模湾をみわたせる虫窪(むしくぼ)の高台の原に立って、 じっと海をながめ、船が来るのをまっている若い妻のすがたがあった。 つぎの日も、そのまたつぎの日も、雨がふっても、風がふいても、若い妻は、 山道を通いつめ、高台の原に立って夫(おっと)の帰りをまちわびていた。
いく日もたった。それでも若い妻は、山道を登って行くのだった。 ある日、見るに見かねた二人の男は、今日こそほんとうのことを言わねばと思い、 高台の原に登ってみると、若い妻は身も心もつかれはてたのか、帰らぬ人となっていた。
この話を聞いた村人たちは、若妻(わかづま)の美しい心を忘れまいと、 ここにお地蔵(じぞう)さまを祀(まつ)って供養(くよう)した。 それからは、この原を泣ヶ原(なきがはら)とよぶようになったという。
地蔵堂(じぞうどう)のそばには、桜の木があったが、 亡(な)くなった若妻の心を語るように、春になっても、つぼみすらつけたことがないのだと。
―――― おしまい ――――
(かながわのむかしばなし50選)より
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