【 23.乙女峠(おとめとうげ) / (箱根町) 】
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● 乙女峠・解説文
古くから西国から東国に通じる道は、箱根の山々を越えなければなりません。
箱根外輪山を超す峠は、南よりの箱根峠から順次北よりに、湖尻峠、長尾峠、乙女峠の四つがあります。 御殿場・乙女峠・碓氷峠・明神ヶ岳を結ぶルートは、西国と東国を結ぶ道として、 古代から利用されてきました。 しかし、標高差が非常に大きく、道が険しいために、箱根越えの主要な道は、足柄峠越えに変わり、 その後の箱根火山の噴火などで、いくつかのルート変更があり、近世の東海道では、箱根峠を越えるようになりました。 乙女峠は、その後も御殿場に通じる間道として、利用されていましたが、近年、峠の下にトンネルが造られ、 道路も整備されました。 かっての険しい峠越えの道は、ハイキングコースとして週末には、たくさんのハイカーが訪れます。 峠からは、正面に富士山が望め、つらい登りを忘れさせてくれる。 明治時代の末(明治四十三年)に書かれた『歴史地理臨時号・箱根』には、 「乙女峠の南方には長尾峠があり、 またその南には湖尻峠(うみじりとうげ)がある。 いずれも駿東部(静岡県)に通ずる道である。 その中で最も有名なのは乙女峠であって、道も最もよく出来ている。 この峠へ行くには、村を通り切って、十町も茅や雑草の原を行くと、おいおい道が急になって、峠にかかる。 さて火口内壁であるから、ずいぶん勾配が急で、三十度ないし四十度もある所がある。 道は曲折蛇行して十町あまりで、三千三百尺の絶頂である。 上っていった向こう、すなわち西方には有名な『乙女峠の富士』が展開する」とあり、 乙女峠から見た富士の素晴らしさは、他に抜きんでていることが、つづられている。 乙女峠という名には、江戸時代、仙石原に関所が設けられ、この峠の通行が禁止されたので、 「お留め山」また「お留め峠」といわれるようになり、乙女の字を当てるようになったとも言われている。 この物語りは、乙女峠という名から、想像される主人公と、 古くからこの峠にまつわるさまざまな思いが込められて、つくりだされた伝説であろう。 比較的新しい時代にできた伝説ともいわれ、よく知られたものです。 旧道の道端には、小石が積んであって、そこが「とめ」の息絶えた所とされていますが、 当時は、行き倒れた旅人もいたであろう。 通りがかりの人が、香華の代わりに野花を手向けていったのでしょう。
(記念碑/その他)
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