川崎市の大師河原は、多摩川の河口付近にあり、その沖は、海の難所といわれるように、 むかしから海難事故の多いところでした。 しかし漁師の浜も、埋め立てられ、今は石油コンビナートや製鉄所が並ぶ工場地帯になっていて、 もう海は見えません。 これは、大師河原周辺が、まだ漁師の村だったころの悲しい物語です。
むかし、大師河原(だいしがわら)の村に、父と娘の二人暮らしの漁師がいたそうな。 母は、娘が小さいときに亡くなり、父の手と村人の世話で、娘は育ってきた。 父思いだった娘は、父が沖へ出て行くときも、見えなくなるまで浜に立って見送り、 帰ってくる時は、まっていて手伝っていた。
年の暮れもおしせまったある日だった。 夜が明けたか明けぬうちに、娘が浜から走って来て、 「お父(とう)、お父。今日は沖へ行くのはやめて、海が荒れそうだよ」 といった。
「少し風が出てきたようだが、このくらい平気だ。昨日今日の漁師じゃねえ。 それに正月もじきだ。 おまえに晴れ着の一枚も作ってやらにゃならないし」 そういうと父は、舟をこぎだしていった。
沖へ舟を進めていくと、娘が案じたように、空には重く雲がただよい、 風が強くなり、波がさか立ってきた。 そして雪もふってきた。 父は、舟を浜へもどそうとしたが、強い風にあおられ、沖へ沖へと流されるばかりだった。
夜になると、吹雪(ふぶき)になった。 浜では、娘が父の帰りを待っていた。 「お父、お父、早く帰ってこー」 松明(たいまつ)を振りつづけ、吹雪の中で村の場所を知らせていた。 「お父ー、お父ー」 心ない吹雪は、娘のさけびを消してしまうのだった。 雪はしんしんとふり続け、村も浜も白一色につつんでいった。
夜が明けると、昨夜とはうって変わったよい天気で、空には太陽がかがやいていた。 だが、浜の松の下には、松明をにぎりしめたまま娘が息絶えており、そばには、 父がいたましい姿で打ち上げられていた。 浜の漁師たちは、父と娘を松の下にねんごろにほうむり、漁に出るときはぶじを祈り、 沖から帰ると一日の漁の礼をいった。
やがて、夜になると松のこずえに灯がともるようになったそうな。 漁師たちは、その灯を沖から見て、 「亡くなった父娘(おやこ)が、わしらに村の場所を知らせてくれているのだ」 といい、この松を不知火(しらぬい)の松と名づけたそうな。
―――― おしまい ――――
(かながわのむかしばなし50選)より
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