日向薬師は、正式には『日向山霊山寺(ひなたさん・りょうせんじ)』といい、霊亀二年(716)僧行基によって開かれたとされ、 現在は十二坊のうち、宝城坊だけが残り、その本堂は、万治三年(1660)の再建といわれています。 本堂の奥にある大太鼓は、口径1.38メートル、胴回り4.9メートル、長さ1.3メートルもあり、神奈川県の重要有形民俗文化財に指定されている。(現在は非公開となっている) 胴の内部には、元文九年(1540)に皮の張り替えをしたことが書かれているが、今は皮がない。 源頼朝が富士の裾野で巻き狩りをしたときに、この大太鼓を使ったという伝説もある。
大太鼓を作った大楠は、善波(ぜんば・秦野市)の勝興寺にあったとも、飯塚家の五反畑にあったともいわれています。 また、大太鼓を作った残りの木で、善波じゅうの橋をかけたといい、京都の銀閣寺の天井の五尺(約1.5メートル)ほどの一枚板も、 この大楠から作られたという伝説がありますが、さだかではありません。
太鼓の音が、相模湾までとどろいたという話は、この他にも東京都町田市に次のような伝説がある。
むかし、成瀬に御嶽堂という寺があった。寺の鐘は黄金作りで、朝日、夕日がさすと異様に輝いた。 その響きは、相模の海までとどろき、驚いた魚は逃げてしまい、漁師は不漁を歎いていた。 怒った漁師らは、大挙して寺を襲い、火を放った上、鐘を引きずり下ろし、谷間に落として埋めてしまったという。
(記念碑/その他) ・ 伊勢原市の『日向山霊山寺』(日向薬師)
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