2010/05/04

間門川の河童徳利


【 4.間門川(まかどがわ)の河童徳利 /(茅ヶ崎市・大曲) 】

  
 茅ヶ崎市大曲を流れる相模川の支流、小出川(旧間門川)にかかる大曲橋(旧間門橋)辺りには、 カッパがくれた徳利の伝説が、残されています。



  むかし、むかし、間門川に夫婦のカッパがすんでおったと。
ところがどうしたわけか、夫婦は別れて暮らすようになった。
  女房のカッパは、鎌倉にすみ、亭主のカッパは、間門川で暮らしていたが、それでもたがいに、 手紙のやりとりはしておったそうな。
  ひとり暮しになったためか、亭主カッパは、近くのきゅうり畑は荒らすし、ときには、 こどもを川へ引きずりこんだりの悪さをして、村人を困らせていた。

  そんなある日、西久保の五郎左衛門が、野良仕事をおえ、間門川で馬を洗っていると、 馬がとつぜんいなないて、とびはねたと。
「ど、どうしただ!」
と、五郎左衛門が、馬の尻を見ると、なんと、カッパが馬のしっぽにしがみつき、川へ引きずり込もうとしていたそうな。
  おどろいた五郎左衛門は、
「おーい!、おらの馬がカッパにすいつかれただー! だれかきてくれー!」
五郎左衛門のさけび声を聞いて、野良仕事をしていた村の衆が、くわ、かま、てんびんぼうをふりまわしながらとんできて、 みなでカッパをしばってしまった。

「やいっ! カッパっ! そこで、今までやってきた悪さを、よーく考えてみろ!。畑を荒らし、 こどもを川へ引きずりこむし、五郎左衛門の馬までねらうなんて、ゆるせねえ!」
「ころしちゃえ、ころしちゃえ」村人の一人が、かまをふりあげた。

  カッパは、ヒョー、ヒョーと泣き、手を合せてたのんだと。
「どうか命ばかりは助けてくだせえ。これからは、ぜったいに悪さをいたしませんから」
「なに? 悪さはしないと! そんなことでごまかすのだな」
カッパは、目にいっぱい涙をうかべて、
「村のかたがた。 カッパを信じてくだせえ。 カッパは、けっしてうそはつかねえです。
どうかなわをといてくだせえ」と、たのんだと。

「口じゃなんとでもいえる。 そのしょうこを見せろ!」
いつも悪さをされている村人たちは、信用していません。
カッパは、しばらく考えていたが、
「はい、村の西にある赤池にはえている葦の葉を、ぜんぶ片葉にしてみせます」
というたと。

「なに?、片葉の葦だと?、二枚ずつはえている葦の葉を、片方だけ取るというのか。
そんなことができるもんか!」
村人は、信じなかったが、五郎左衛門は、かわいそうに思い、
「みなの衆、わしにめんじて今度だけは、ゆるしてやってくれまいかのー。
カッパのやつも、心からあやまっているようだし。それにおらの馬もおかげで無事だったし」と、カッパにかわってたのんだと。

「五郎左衛門に、そうまでいわれちゃしかたがねえ。おまえさんにめんじてはなしてやるべえ」
村の衆は、しぶしぶなわをといてやったと。
カッパは、グワッ、グワッと、うれしそうにはねていたが、間門川にとびこんで姿をけしてしまったと。
「五郎左衛門は、お人よしよのう。あんなカッパの言うことを信じるなんて。
今に見ていな、また馬が引きずりこまれるから」
「そうだ、そうだ。こんどいくらさけんだって行ってやるものか」
村人たちは、そういいながら家々に帰って行った。

その夜、五郎左衛門がぐっすりと眠っていると、夢に間門川のカッパがあらわれ、
「今日は、命を助けてもらってありがたい。そのお礼に徳利をやろう。
この徳利は、酒がいくらでも出てくる。ただし、底に少し酒を残しておくこと。
それと、もし徳利の尻を三回叩けば、二度と酒は、出なくなる。よいのお」と、
おごそかにつげたのだった。

次の朝、一番鳥の泣き声で、目をさました五郎左衛門が、台所に行ってみると、かまどの上に徳利と、 大きな魚が2匹置いてあったと。
五郎左衛門は、もしやと思って、徳利をかたむけると、中からトックン、トックンと、酒がでてきたと。
それは、なんとも言えない、いいかおりがして、たいへんおいしかった。
五郎左衛門は、うまい、うまいといいながらなめるようにのんだと。

それからの五郎左衛門は、野良仕事もせず、一日中お酒をのみ、すっかり怠け者になってしまった。
 いくら呑んでも、カッパにいわれたとうりに、お酒を少し残しておくと、次の日には、ちゃんとお酒がいっぱいになっていたと。
ある日、五郎左衛門は、このままでは、本当に怠け者になってしまうと思い、  徳利の底を三回叩くと、お酒をやめ、まえよりもっと働き者になっと。

その後、酒の出なくなったカッパ徳利は、大山街道沿いの小屋にかざられ、見世物になったが、 大山詣での人たちは、
「もったいねえことをしたもんだ。のめどもつきぬ徳利だったのによ!」と、
しげしげとながめて行ったということです。
また、赤池の葦の葉は、カッパの行ったとおり、ちゃんと片葉になっていたと。
 
 茅ヶ崎には、古くからうたわれた、盆踊り唄があります。

   大山街道に、名所がござる、
   一に、さぎ茶屋、
   二に、どんど塚、
   三に、富士塚、
   四に、かっぱどっくり、
   かっぱの在所は、間門川、間門川

  カッパはいまも、間門川のどこかに住んでいるのでしょうか。それ以来、カッパを見たものはいないということです。



―――― おしまい ――――


(かながわのむかしばなし50選)より

● 間門川(まかどがわ)の河童徳利・解説文

  茅ヶ崎市西久保の田村大山街道(県道藤沢・伊勢原線)が、小出川にかかる大曲橋(旧間門橋)に、『間門川伝説・河童徳利誕生の地』と書いた、大きな看板が立っている。
かっては「間門川(まかどがわ)」とよばれていたが、河川改修され、すっかり地形が変わってしまった。

  この話は古くから語り継がれていたようで、江戸時代後期に書かれた『宝暦現来集(ほうれきげんらいしゅう)』(天保2年(1831年)/山田桂翁により編纂、 宝暦年間(江戸中期)以降に見聞きした江戸の風俗見聞集。)には、次のような記述がみられる。

  『相模ノ大山街道間門ノ河童ハ、馬ニ対スル悪計露顕シテ打殺サレントセシヲ、間門村ノ三輪堀五郎兵衛ノ先祖、例ノ如ク命乞ヲシテ放還ス。鎌倉時代ノ出来事ナリト伝フ。 此時ノ礼物モ鱸(スズキ)ガ二本ト酒徳利ニシテ、其徳利ノ酒ハ酌メドモ、尽クルコト無カリシ由。今ハ既に空徳利トナリ、魚ノ図ト共ニ永ク家ニ伝エタリシヲ、 天保二年四月二至リ、江戸本所ノ彫刻師、猪之助ナルモノ実見シ来リテ人ニ語ルトイフ。』

  記述によると、間門村(まかどむら)の五郎兵衛さんのご先祖が、鎌倉時代に河童からもらった徳利は、その後代々伝えられ、 やがて江戸時代になり「大山詣で」(現・神奈川県伊勢原市大山/大山阿夫利神社)が盛んに行われるようになると、参拝者で賑わう街道沿いの見世物小屋に置かれるようになり、 それを見てきた江戸の「本所」に住む猪之助という彫刻師が、「大山詣で」をした帰りに旅の土産話として見聞きした事を、近所の人々に話して聞かせたのを噂話に聞いて,書きましたと言ったところか。

  伝説は長く語り継がれるうちに少しずつ変化していくもので、例えば五郎兵衛さんの酒好きの知り合いが、徳利の酒を一滴残らず飲み干したためにそれから酒が出なくなったとか、 語る人により話しに尾ひれが付き、この「河童徳利」の話もいくつものお話が伝わっている。
  働き者の主人公が、一時酒びたりの怠け者になるが、改心してもっと働き者になるといった「教訓話」の一つであろうか。

  「河童徳利」は、高さ七寸(約二十一センチ)、底四寸(約十二センチ)あまりで、約三合(約0.5リットル)の量が入ります。 口のところが少しかけていましたが、これにも逸話が残されていて、 明治十二年刊の『皇国地誌草稿』に、「天保元年(1830)十一月、徳川幕府の閣老のある者が、徳利の陶質を確かめようとして、陶工に調べさせた。陶工は、 徳利の口が少し欠けていたので、更に欠いて調べたが、解明できなかったという」

  この話に出てくる五郎兵衛(「五郎左衛門」という説もある)さんは、文政七年(1824)正月二日に亡くなったとされています。
 ちなみに、鎌倉時代に河童から「徳利」をもらったご先祖さんの名も「五郎兵衛」さんという説もあり、代々「五郎兵衛(または「五郎左衛門」)」を名のっていたのかもしれません。
  五郎兵衛さんの墓は、西久保の三堀家(三輪堀家の御子孫?)の屋敷内にありましたが、今は、静岡県川根町千頭(静岡県榛原郡川根本町上長尾・智満寺 (ちまんじ)に「カッパ徳利(カッパとっくり)の伝説」の碑がある。) に移されたとか。

  その後「河童徳利」は、大山街道沿いの小屋に飾られ、街道を行き交う「大山詣」の人々の人気を集め、街道の名物になっていました。
  大正二年、神奈川県庁落成を記念して、横浜の野沢屋で開催された、「県民政資料展覧会」にも出品されたことが、『神奈川県民政資料小鑑』に記載されている。

  この「河童徳利」も、関東大震災や、さらに太平洋戦争で行方不明になっていましたが、戦後、静岡県川根町千頭のある家から見つけられて、昭和四十二年五月五日に、 五郎兵衛((五郎左衛門)の遠縁にあたる、茅ヶ崎市円蔵の小室家に戻り、家宝として保存されていたともいわれています。

  河童の話は、北海道から沖縄まで、全国に分布していて、その中には、「河童徳利」の他にも命を助けられた河童が、恩返しする噺(はなし)もいくつか残されている。
  お詫びとして、魚や、酒の尽きない徳利、使っても銭の減らない壷であったり、詫び状であったりする。
  神奈川県には、このほかに横浜市神奈川区に『滝野川の河童』、川崎市麻生区柿生の『河童の詫証文(わびしょうもん)』など、いくつか河童の話があります。



 (記念碑/その他)
  ・ 茅ヶ崎市西久保の小出川にかかる『大曲橋(旧間門橋)』
  ・ 茅ヶ崎市円蔵の『輪光寺』
  ・ 静岡県榛原郡川根本町上長尾の『智満寺』







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