江戸城の普請(ふしん)は、大きいものは大名を動員しての「天下普請」(建物や、道路、水路、橋、堤防などの建設や修理などの大規模な工事を行うときに、諸国の大名に資金や資材、労力などの提供を促した)で、 ほかにも江戸市中の大火災の類焼による修築などが、何度か行われています。
「善正坊の一しょい門」は、天保年間(1830~45)頃の話とも伝えられていて、そうだとすれば、 天保九年(1838)三月の、江戸城西の丸火災修復のときの話とも考えられる。
善正坊の怪力話は、このほかにも臼(うす)を手玉に取って放り投げたら、本堂の屋根を越えて、 寺の裏庭へ落ちたという話などがある。
また、話のなかにでてくる「 やせんま(やせ馬)」とは、農家の人が山仕事や、野良仕事のさいに背中に背負って荷物を運ぶ「背負子(しょいこ)」のことで、「しょいばしご」などとも言い、薪(まき)や、稲ワラ、農作物などを背負って運ぶ道具のこと。
むかしは、これで荷物を運ぶ事を生業(なりわい)とした人達(歩荷(ぼっか)、強力(ごうりき)などとよばれていた。)もいて、一人で100~150kgもの荷物を背負って運んでいた。
かって新田次郎著の小説「強力伝」のモデルとも言われ、著名な富士山強力(御殿場)・小見山正氏は、50貫(約180kg)の巨石(風景指示盤)を北アルプスの白馬岳山頂(標高2932m)まで担ぎ上げた。
相模には、怪力で知られる和尚がもう一人いました。厚木・長福寺の東陽和尚で、あるひでりの年に、 厚木村と妻田の村が、水あらそいをしたとき、長さ九尺(約2.7メートル)もある山門の大扉を、外して担いで行き、 それで両村の間を流れる小鮎川を、せき止めて仲直りをさせた、という話が伝わっています。
力持ちの話は、全国各地にあり、その主人公が権力者よりも、村人のために怪力を使うという点が、共通しているようです。
(記念碑/その他) ・ 神奈川県愛川町半原・清雲寺
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