むかし、西丹沢の沢尻に、六郎という若者がおったと。 これは、その「力持ちの六郎」の話です。
ある年の秋もおわるころ、六郎は庄屋さまへおさめる年貢の米を二俵、馬に積んで出かけていった。
飯泉(いいずみ)の観音堂をすぎ、せまい橋にさしかかった。 六郎がわたっていくと、向こうからさむらいが大いばりでやってきて、六郎と橋のまん中でぶつかった。
「こらっ、下がれっ!」 さむらいは、ふんぞりかえってどなった。 六郎は、聞いてか聞かずか、知らん顔をしている。 「無礼者! もどらんか。 わしは武士じゃ、もどらねばたたっ切るぞ」 さむらいは、両手をひろげて目をむいた。
六郎は、 「おさむらいさま、おらだってここまでわたってきただ。それにこのせまい橋じゃ、馬だって向きを変えられませんぜ。 もどるんなら、身軽なおさむらいさんじゃないですか」 と、やりかえした。
「武士にむかって、なにをぬかす。この刀が目に入らんのか」 さむらいは、刀のつかに手をかけた。
「おさむらいさん、そうおこりなさるな。おらなんかを切ったって、刀がさびるだけですぜ。 とにかく、通れりゃいいんでしょう。さ、通ってくだせえ」 六郎は、いきなり馬の前脚を右手で、後脚を左手でひっつかみ、 二俵の米を積んだまま高だかとさし上げたのだ。
「さあ、おさむらい。これなら通れるでしょう」 さむらいは、びっくりしたのなんの、顔色を変えて逃げてしまった。 六郎が、大いばりのさむらいをやっつけた話は、たちまち村じゅうにしれわたった。 それから、村の衆は、六郎を鬼六郎とよんで、じまん話の種にするようになったと。
ある年の大山の夏祭に、江戸の相撲がかかった。江戸から力士が来たというので、 すごい人出になった。六郎もその中にもぐって見物していた。 相撲をひとまずおわったとき、行司が「飛入り勝っ手」と書いた紙を持って土俵をまわった。 村々の若者は、力を見せるのはこのときと、土俵に上がって力士に向かって行ったが、 どいつもこいつもかんたんに投げ飛ばされてしまった。 六郎は、むずむずしてきた。それを見た沢尻の村の者が、土俵に上がれとすすめたが、 六郎はもじもじしていた。
「なんだ六郎、おじけついたな。それでも鬼六郎かい」 「そうじゃねえだ。おら、まわしを持ってきていねえだよ。こうと分かっていれば持ってきたのに」 六郎は、くやしそうに相撲を見ていたが、なにを思ったのか、急にいなくなってしまった。 しばらくすると、六郎が土俵に上がってきた。六郎のまわしは、なんともうそう竹をつぶして作ったものだった。
ワーッと、拍手がわき起こった。 行司も、竹のまわしを見てたまげてしまった。 六郎は、ドーン、ドーンと四股(しこ)をふんで、江戸の力士に組みついた。 力士は、六郎のまわしが取れない。うっかり取ろうものなら、竹で手を切ってしまうからだ。 こうなると、六郎のひとり相撲だ。かたっぱしから、土俵の外へつき出してしまった。
「六郎、六郎、鬼六郎」 村の衆の声が山々にとどろいた。 これにおこったのは、大関の梅ヶ岳。 「うーむ、こんな若僧に負けて江戸へ帰れるか。わしが相手になる」 と、土俵に上がってきた。
六郎は、まってましたとばかりに、竹のまわしをバリバリッとしめ直した。その音がまたきいたようだ。 さすがの大関も、竹のまわしをおそれて取ろうとしない。 六郎は、がっちと大関のまわりを取って、土俵の外へたたきつけた。 行司は、高だかと軍配を六郎に上げた。 力士たちは、こそこそっと山を下りていったと。
六郎が、江戸相撲の大関に勝った話は、その日のうちに村々にひろまったが、つぎの日も、 六郎はいつものようにまっ黒になって、山の畑をたがやしておったと。
―――― おしまい ――――
(かながわのむかしばなし50選)より
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