2010/05/09

足柄山の金太郎


【  9.足柄山の金太郎  / (南足柄市・箱根町)  】

  
 千年もの遠いむかし。足柄の長者、足柄平太夫の娘、八重桐(やえぎり)は、 坂田蔵人(さかたくらんど)の妻となり、金太郎を生んだ。
  しかし、そのよろこびもわずか、蔵人は亡くなり、八重桐は金太郎を連れて足柄の里に帰り、 二人で暮らすようになったと。




  足柄の山を庭のようにして育った金太郎は、赤子のうちから力が強く、杉の大木をよじ上ったり、 大きな石を手まりにして遊んだ。
  山の動物たちも、金太郎のよい遊び相手だった。猿を行司にして熊とすもうをとったり、 力くらべをしたりして、毎日なかよく遊んだ。

  そして仲間の動物たちや、山の木や草からいろいろなことを学んだ。
  椿の花がさくころに、山猫が美しくなる。わらびの出るころに、うさぎが子を生む、山の雪が消えるころ、 どこからともなくきじが姿をあらわす。
  また、いつごろ、あわやひえをまけばよいかも学んだ。

  ある日、母は、金太郎にりっぱなまさかりをあたえて、いい聞かした。
「ここだけが山ではありませぬ。もっとけわしい山もあるのですよ」
金太郎は、その言葉にはげまされ、箱根の山々をかけめぐっては遊んだ。

  こうしてたくましく育った金太郎は、若者になると、まさかりで大木を切って谷に橋をかけたり、 大風でたおれた木をかたづけたりして、山をおさめていった。
  これを見たきこりたちは、
  「あいつは山の主だ。熊や山犬を手なずけて、家来にしている。ただの男じゃねえ」
と、うわさしていた。

  ある年の冬、雪深い足柄峠をこえて行く武士の一団があった。 大将は、源頼光(みなもとのよりみつ)といい、将軍の命を受け、上総から京へ上る途中だった。

  一行がけわしい山道を登っていくと、彼方から熊にまたがった若者が、いのしし、さる、 山犬をしたがえてやってきた。
「うーむ、けだものを手なずけるとは、たいしたやつだ。家来にして武士に取りたててやろう」

  道案内を申し出た金太郎に、頼光は、
「たくましい若者じゃ。どうだ、わしの家来と相撲(すもう)を取ってみないか」
と、いった。

  金太郎がしょうちすると、まず卜部季武(うらべすえたけ)が飛び出して、金太郎と組み合ったが、 あっけなく投げとばされた。
  かわって、碓氷貞光(うすいさだみつ)がおどり出たが、これもころりとやられてしまった。

  最後に渡辺綱(わたなべのつな)とやることになった。綱は強かった。
金太郎とがっぷり組み合ったが、たがいに山のように動かない。
そして勝負なしに終わった。

  金太郎は、頼光によって、武士に取りたてられ、名を坂田公時(さかたのきんとき)とあらため、 頼光にしたがって、都へ上ることになった。

  頼光主従(しゅじゅう)が、都へ着いたとき、都では、大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)の一族が、 つぎつぎと娘をさらって行くというさわぎが、起きていた。
  酒呑童子を退治(たいじ)せよとの命が下り、討手(うって)は頼光に決まった。

  頼光は、渡辺綱、卜部季武、碓氷貞光、坂田公時、そして平井保昌(ひらいやすまさ)の五人を引き連れて、 山伏(やまぶし)姿に身を変えると、大江山へと向かっていった。
  けわしい山々をこえて行く一行の先頭には、いつも坂田公時が立っていた。
  一行が大江山に着いたとき、酒呑童子一族は、岩窟(がんくつ)の奥で、酒もりをやっているところだった。
  頼光主従(しゅじゅう)は、このときとばかりおどりこみ、酒呑童子と手下どもを討ち取り、 とらえられていた十三人の娘を救い出した。

  坂田公時は、源頼光の四天王の一人と言われるような、たくましい武士になったが、 頼光が亡くなると、三か月の間、日夜頼光の墓に、お詣(まい)りした後、都を去り、 ふるさとの足柄へもどったといわれている。



―――― おしまい ――――


(かながわのむかしばなし50選)より

  ● 足柄山の金太郎・解説文










Copyright(C) 2019 Shonan Walk All Rights Reserved