2010/06/06

建長寺のたぬき和尚


【  6.建長寺のたぬき和尚 /(鎌倉市・津久井地域 ) 】


 むかし、鎌倉の建長寺(けんちょうじ)がすっかりさびれて、 山門の柱はかたむき、屋根もくずれるばかりのありさまになったときのことといいます。

  この山門を再建するため、勧進(かんじん)の和尚が、村や町をまわっていました。
  どこでも気持ちよくむかえて、こころざしのお金をさし出しましたが、この和尚が、 行った先ざきで、お礼に書いてのこしていく書や画は、いっぷう変わっていて、 字はだれも読めるものがいないというふしぎな字でした。

  そればかりでなく、和尚が来る前には先ぶれが出て、あらかじめ犬をつないでおくこと、 食事のときは一人だけにすること、などとさしずされるのでした。
  どうもあやしい、あの和尚は、人間ではないのかもしれない、などといううわさが、 どこからともなく起こりました。

  ある宿場の男が、和尚の正体を見てやろうと考えて、朝旅立とうとする前に、 犬を表に放しておきました。
  和尚が、宿の人びとにお礼をのべて、さてかごに乗ろうとしたとき、 犬はおそろしいうなり声をあげて、和尚に飛びかかっていきました。

  あっという間にのど首をくい切られた和尚は、その場で死んでしまいました。
ふところからは、今まで苦労して集めた金三十五両と、銭五貫二百文が出てきました。

  和尚のなきがらは、しばらくは変わったことも起こりませんでしたが、 七日目になると、たぬきの姿に変わりました。
  それは、建長寺のうら山にすんでいた、古狸だったのです。
  日ごろお世話になっている恩にむくいるため、山門再建に一働きしようとして、 長い勧進の旅に出ていたのです。

  このことが建長寺へ知らされると、寺では、自分たちの代わりに旅に出て、 苦労して死んだたぬきをあわれみ、境内(けいだいに)に、 小さな祠(ほこら)をつくって供養したということです。

  そして、この祠(ほこら)には、夜になるとひとりでに燈明(とうみょう)がともったということです。
それから、建長寺の山門を、「狸の山門」というようになりました。



―――― おわり ――――




  この話は、神奈川県下をはじめ、関東にひろく分布している。
勧進や宿を世話してもらったお礼に、狸和尚が書いたという書画の実物を、 伝えている家も少なくなく、江戸時代より事実譚として、世間に広まっていった。



  (かながわのむかしばなし50選)より






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