むかし、ある家で、手ぬぐいが毎晩1本ずつなくなるという、おかしなことが起こりました。 主人が、気をつけて見ていると、飼い猫のトラが、手ぬぐいをくわえて逃げていきます。 主人は、「トラは、手ぬぐいを何にするのだろう」と、ふしぎに思っていました。
ある夜、村はずれを通りかかると、歌が聞こえてきました。 「こんな夜ふけに、こんなところで、だれが歌っているのだろう」 と思って、そっと見ると、たくさんの猫たちが、手ぬぐいを姉さんかぶりにして、 おどっているではありませんか。
しばらくすると、猫がおどりながら、 「おい、今夜はトラがいないぞ」 「そうだ、トラがいないな。どうしたんだろう」 「トラがいないと笛がないから、調子が合わないな」 などと話しはじめました。
そこに一ぴきの猫がやってきて、 「今夜は、家で熱いおじやを出されて、舌をやけどしてしまったから、 わるいけれど笛は吹けねえな」 と、いいました。
主人がよく見ると、まぎれもないわが家のトラです。 びっくりして家にとんで帰った主人が、おかみさんに、 「今夜は、トラに熱いおじやを食べさせたか」 と聞くと、おかみさんは、 「はい、食べさせましたよ」 と、いうのです。
やっぱりそうだったのかと思った主人は、 「手ぬぐいのなくなるなぞも、これで分かった」 と、おかみさんにさっきの話をしました。
それから、猫たちが頭に手ぬぐいをかぶっておどっていた所を、 「踊り場(おどりば)」と、よぶようになったということです。
―――― おわり ――――
この話は、「かんべえさんの猫」の話と同じく、横浜市戸塚区の中田地区の、 「踊場(おどりば)」という地名に由来する昔話で、横浜市、藤沢市、平塚市、大磯町、 津久井郡城山町などにも、同様のはなしが伝えられている。
その背景には、藤沢の長後辺りから戸塚を経由して、横浜に出る街道(大山道)があり、 その途中に、現在はバス停の名に残されている「踊場」と呼ばれる所があって、 その名が、「猫の踊り場」を連想させたのかもしれない。 その昔、この辺りは追いはぎも出るような寂しいところであったらしい。
また、むかしから猫は人間のそばにいながら、人には不可解な動物であり、それが化けたり、 踊った、などという話につながっていったのかもしれない。
猫は夜行性の動物、昼間は縁側でウトウトと寝ていても、 夜ともなると活発に動き出し、昼間とは全く別な顔をみせる。 照明といっても、松明(たいまつ)やローソクの明かりしかない昔の人々にとって、 日没とともに訪れる暗闇は、「百鬼夜行」の徘徊する異次元の世界でもあった。
そんな異次元の世界を活動の場とする猫もまた、「百鬼夜行」の類と想像されてもおかしくはない。 そして、街道を行き交う道すがら聞くうわさ話も、人から人へと伝わるうちに少しずつかたちを変え、 それぞれの場所で語り継がれたのでしょう。
また、熱いものが苦手なことを、「猫舌(ねこじた)」といいますが、 他の話にも、ねこが夕飯に熱いお粥を食べさせられ、踊りにおくれるという筋書きは、 共通していておもしろい。
(かながわのむかしばなし50選)より
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