2010/06/08

すずめの唐櫃(からと)


【  8.すずめの唐櫃(からと) /(横浜市)  】


  むかし、下今泉の村に、彦六という若者がおったと。
  ある年の暮れ、彦六は、お正月がそこまできたので、門松にする松をきりに鳩川べりをのぼっていった。
すると、すみきった淵に姿のいい松が影を映していた。
「よしよし、これで門松を作ったら、お正月さんも喜ぶだろう」
  彦六が、淵のそばで松をきろうと鉈(なた)をうちおろしたとき、 鉈は手からすべって淵の中に落ちてしまった。

  あわてた彦六が淵をのぞくと、鉈はすぐそばにあるので、 取ろうとしたら前にのめって、彦六も淵に落ちてしまったと。
  深い深い淵でまるで底なしのようだ。 彦六は、ずんずん、 ずんずんとしずんでいって、やっと淵の底に着いたと。

「あっ! 御殿が」
  淵の底には、美しい御殿があったと。
  彦六が見とれていると、中から姫が出てきてたずねた。
「おまえはだれですか。 何をしにここへ来たのですか」
「おら、下今泉の彦六。 門松にする松をきりに淵へ来て、 きろうとしたとき鉈が手からすべって落ちたので、ひろいにきましただ」

  姫は、うなづいて、
「ああ、あの鉈がそうですか。 返してあげますからどうぞこちらへ」
と、彦六を奥の間へ通し、つぎつぎとごちそうを運んできたと。
「さあ、えんりょなくめしあがってください」
それはもう、正月と祭りが、いっぺんにきたくらいのごちそうだった。

  こんなまい日が三日もつづいたが、彦六は、ふと、家でまっている父(とと)、 母(かか)を思い出した。
「姫さま、えらーごちそうになりましたが、家のことが心配になりましたで、 おいとまさせてください」
「そうですか、それでは、おとめしません。 おみやげをさしあげましょう」

  姫は、奥へ行って美しい箱を持ってきた。
「すずめの唐櫃というものです。耳を当てると、すずめの話しことばはもちろん、 鳥が何を話しているか分かるのです。 わたくしの宝ですがお持ち帰りください」
「ほー、鳥の話しことばが分かるのですか。 これは何よりの宝」

  彦六がおしいただいて帰ろうとすると、姫は、
「ひとこというておくことがあります。 どんなことがあっても、 わたくしに会ったことは、人にいうてはなりませぬぞ。 もし、この約束をやぶったら、おまえの命はありませぬぞ」
と、きびしくいった。

  彦六は、かたく約束し、なんども礼をいって、すずめの唐櫃と鉈を持って、 御殿を後にしたと。
淵から出てうちへ帰っていくと、村では年の暮れでいそがしそうだった。
「まだ、正月はこないのかよ。 おら、いまごろが正月だと思っていたのに」

  彦六は、門松を立てているのを見てふしぎがった。
  うちへ着くと、坊さんのお経が聞こえ法事(ほうじ)をやっているのでたまげた。
  それは、なんと彦六の三回忌の法事だった。

  とつぜん、帰ってきた彦六を見て、お経はぴたりととまり、みんなはおどろいた。
「彦! どこをうろついていやがっただ。 てっきり死んだと思っておまえの空葬式をすませ、 今日は法事なんだぞ」
  お父(とう)は、おこった、おこった、お母(かあ)は、お父のけんまくを見かねて、
「彦や、どこへ行っていたのだよ。 わたしにだけは言っておくれ、な」
と、やさしいことばをかけたが、彦六は、淵の姫との約束を思い出して、口をつぐんでいた。

  親類の者も彦六をせめたてた。
「おら、どこへも行かねえ。 門松にする松をきりに、鳩川の淵へ行っただけだ」
「なに? 淵へ行ったと? あの松のはえているところか。 それに三年もかかるのか! 彦! ほんとのことをいえ!」

「松をきろうとしたら、鉈が手からすべって淵へ落ちてしまっただ」
「そこに鉈があるじゃねえか。 うそもいいかげんにしろ」
「ほんとに落としただよ。 それを返してもらったんだ」
「返してもらったと? いったいだれにだよ」
「淵の底にある御殿の姫さまだ」
といったとき、彦六は、息たえてしまったと。

  そして、法事は悲しいお通夜になってしまったと。
彦六がもらってきた、「すずめの唐櫃」は、だれもその使い方を知らないので、 そのままある家にしまってあるのだと。
彦そしてな、彦六が鉈を落とした淵を、村人は「彦六ダブ」と名づけたのだと。



―――― おわり ――――




  この昔話は、海老名市の北西部、鳩川が相模川と合流する所から少し上流の、 下今泉のはずれ辺りで、昔は松並木が続き、一本だけ川に乗り出して生えているのがあったといいます。

  この話は、「黄金のおの(こがねのおの)」という話と、「聴耳(ききみみ)」の二つの昔話が、 結びつけられた話しともいわれる。

浦島太郎に出てくる竜宮伝説にも似たところがあり、またイソップ物語にでも出てきそうな話でもある。


  (かながわのむかしばなし50選)より






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