むかし、下今泉の村に、彦六という若者がおったと。 ある年の暮れ、彦六は、お正月がそこまできたので、門松にする松をきりに鳩川べりをのぼっていった。 すると、すみきった淵に姿のいい松が影を映していた。 「よしよし、これで門松を作ったら、お正月さんも喜ぶだろう」 彦六が、淵のそばで松をきろうと鉈(なた)をうちおろしたとき、 鉈は手からすべって淵の中に落ちてしまった。
あわてた彦六が淵をのぞくと、鉈はすぐそばにあるので、 取ろうとしたら前にのめって、彦六も淵に落ちてしまったと。 深い深い淵でまるで底なしのようだ。 彦六は、ずんずん、 ずんずんとしずんでいって、やっと淵の底に着いたと。
「あっ! 御殿が」 淵の底には、美しい御殿があったと。 彦六が見とれていると、中から姫が出てきてたずねた。 「おまえはだれですか。 何をしにここへ来たのですか」 「おら、下今泉の彦六。 門松にする松をきりに淵へ来て、 きろうとしたとき鉈が手からすべって落ちたので、ひろいにきましただ」
姫は、うなづいて、 「ああ、あの鉈がそうですか。 返してあげますからどうぞこちらへ」 と、彦六を奥の間へ通し、つぎつぎとごちそうを運んできたと。 「さあ、えんりょなくめしあがってください」 それはもう、正月と祭りが、いっぺんにきたくらいのごちそうだった。
こんなまい日が三日もつづいたが、彦六は、ふと、家でまっている父(とと)、 母(かか)を思い出した。 「姫さま、えらーごちそうになりましたが、家のことが心配になりましたで、 おいとまさせてください」 「そうですか、それでは、おとめしません。 おみやげをさしあげましょう」
姫は、奥へ行って美しい箱を持ってきた。 「すずめの唐櫃というものです。耳を当てると、すずめの話しことばはもちろん、 鳥が何を話しているか分かるのです。 わたくしの宝ですがお持ち帰りください」 「ほー、鳥の話しことばが分かるのですか。 これは何よりの宝」
彦六がおしいただいて帰ろうとすると、姫は、 「ひとこというておくことがあります。 どんなことがあっても、 わたくしに会ったことは、人にいうてはなりませぬぞ。 もし、この約束をやぶったら、おまえの命はありませぬぞ」 と、きびしくいった。
彦六は、かたく約束し、なんども礼をいって、すずめの唐櫃と鉈を持って、 御殿を後にしたと。 淵から出てうちへ帰っていくと、村では年の暮れでいそがしそうだった。 「まだ、正月はこないのかよ。 おら、いまごろが正月だと思っていたのに」
彦六は、門松を立てているのを見てふしぎがった。 うちへ着くと、坊さんのお経が聞こえ法事(ほうじ)をやっているのでたまげた。 それは、なんと彦六の三回忌の法事だった。
とつぜん、帰ってきた彦六を見て、お経はぴたりととまり、みんなはおどろいた。 「彦! どこをうろついていやがっただ。 てっきり死んだと思っておまえの空葬式をすませ、 今日は法事なんだぞ」 お父(とう)は、おこった、おこった、お母(かあ)は、お父のけんまくを見かねて、 「彦や、どこへ行っていたのだよ。 わたしにだけは言っておくれ、な」 と、やさしいことばをかけたが、彦六は、淵の姫との約束を思い出して、口をつぐんでいた。
親類の者も彦六をせめたてた。 「おら、どこへも行かねえ。 門松にする松をきりに、鳩川の淵へ行っただけだ」 「なに? 淵へ行ったと? あの松のはえているところか。 それに三年もかかるのか! 彦! ほんとのことをいえ!」
「松をきろうとしたら、鉈が手からすべって淵へ落ちてしまっただ」 「そこに鉈があるじゃねえか。 うそもいいかげんにしろ」 「ほんとに落としただよ。 それを返してもらったんだ」 「返してもらったと? いったいだれにだよ」 「淵の底にある御殿の姫さまだ」 といったとき、彦六は、息たえてしまったと。
そして、法事は悲しいお通夜になってしまったと。 彦六がもらってきた、「すずめの唐櫃」は、だれもその使い方を知らないので、 そのままある家にしまってあるのだと。 彦そしてな、彦六が鉈を落とした淵を、村人は「彦六ダブ」と名づけたのだと。
―――― おわり ――――
この昔話は、海老名市の北西部、鳩川が相模川と合流する所から少し上流の、 下今泉のはずれ辺りで、昔は松並木が続き、一本だけ川に乗り出して生えているのがあったといいます。
この話は、「黄金のおの(こがねのおの)」という話と、「聴耳(ききみみ)」の二つの昔話が、 結びつけられた話しともいわれる。
浦島太郎に出てくる竜宮伝説にも似たところがあり、またイソップ物語にでも出てきそうな話でもある。
(かながわのむかしばなし50選)より
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