むかし、川崎宿の久根崎(くねさき)に、大きな寺があった。 山門を入ったところに鐘楼(しょうろう)があり、その下には池があった。 池には、コイやフナがいて、ほとりには小さな蟹(かに)がたくさんすんでいた。 池の生きものたちは、お詣りにくる人たちがくれる食べ物を、なかよく分けあって、 のんびりとくらしていた。
川や池にすむ生きものには、こわいものがあった。 それは、群れをなしておそってくる白鷺(しらさぎ)だった。 水草や石の下にかくれても、あのするどいくちばしで、 つつかれて食べられてしまう。 フナたちは、何よりも白鷺をおそれていた。
ところが、この寺の池にだけは、白鷺がおそってこなかった。 それは、朝に夕に、寺の小僧たちがつく鐘のひびきが、 ぶきみに聞こえたからだった。
ゴーン、 ゴーン、 ゴゴーン
鐘の音は、遠く多摩川の川面をわたって、池上の里にまでひびいた。 「つり鐘さまのおかげじゃ」 と、池の生きものは鐘に感謝して、小僧さんが来ると、いっせいに池の水面に出てきて、 お礼をいっていた。 幸せな毎日だった。
ところが、ある夏の夜、近くから出た火事が、強い風にあおられて、 家々を焼きはらい、寺におそいかかってきた。 山門はめらめらと燃えあがり、いきおいづいた炎は、鐘楼(しょうろう)にせまってきた。
寺の坊さんも、町の人たちも逃げてしまった。 そのとき、池の中からぞくぞくと蟹が出てきて、鐘楼をよじのぼり、 口から泡を吹き出して火を消そうとした。 炎はいかりくるったように、蟹を焼き殺していった。 だが蟹は、焼かれても焼かれても、つぎからつぎと鐘楼をのぼっていった。
それは、蟹と炎のたたかいだった。 おそろしい一夜が明けた。 一面の焼け野原の中に、寺の鐘楼だけが残っていた。 だがその下には、何百という蟹が、火の粉をあびて死んでいた。
寺の坊さんは、 「おお、おお、蟹たちが命がけで鐘楼を守ってくれたのじゃ」 と、手を合せた。
それからは、池の蟹は、火の粉をかぶったように、せなかが赤くなったという。
―――― おわり ――――
この話は、川崎市川崎区旭町にある、医王寺に伝わる伝説といわれてきたが、 医王寺は、かっては周囲をたんぼで囲まれていて、類焼を受けたという記録がなく、 その真偽は定かではありません。
(かながわのむかしばなし50選)より
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