2013/08/10

鳥屋の獅子舞


 


■ 津久井・鳥屋(とや)の獅子舞 (2004/08/14)


 相模原市緑区(旧津久井町)鳥屋(とや)地区に鎮座する諏訪神社で、夏の例祭(例祭日はかっては八月二十二日であったが、その後八月十日から現在は八月の第二土曜日に行われるようになった。)に奉納される獅子舞は、約300年程前の江戸時代初期、鳥屋の清真寺10世住職・円海法師(延宝6年(1678)没)が、八王子市高槻からこの地に伝えたと言われていて、現在「かながわの祭り50選」に数えられ、「神奈川県無形民俗文化財」にも指定(昭和29年(1954)12月指定)されている。


 諏訪神社の創建は、仁治2年(1241)、菱山肥後守入道隆顕和尚が清真寺建立と同時に山内鎮守として諏訪大明神(信濃国「諏訪大社」の御祭神、建御名方命(たてみなかたのみこと))を勧請したのが始まりといわれ、その後、享禄3年(1530)に現在の場所に移されたものと伝えられている。


  
 祭りは、まず獅子舞をこの地に伝えたとされる円海和尚ゆかりの鈴木家(中開戸地区)に集合し、神事の後、世話役の人々を先頭に「獅子舞」、「ささら子(蛙とも呼ばれる)」の後に、各地区の祭睦会による「纏(まとい)」、少年少女たちの「万燈振り」、「山車(だし)」などが列を成し、諏訪神社まで練り歩く。

午後3時30分過ぎ、行列がようやく諏訪神社に到着。 この頃より曇り空からポツポツと雨粒が落ち始めてきた。
午後4時半過ぎ、予定より30分程遅れてようやく奉納・獅子舞の用意が整うと、一時閑散としていた境内にも再び、見物の人々が集まり始めた。やがて獅子舞の始まる頃には、心配していた雨もあがり、夕焼け雲が周囲の山々にひろがっていた。









獅子は、一人立ち三頭獅子(1人が1つの獅子頭を付けて舞う一人立ちの獅子舞で、3人(3頭)で舞う)で、父獅子、母獅子、子獅子と呼ばれる三頭の獅子を、白衣に白股引き、白の手甲、白の足袋を身に着けた三人の地区の若者が演じる。
獅子頭は、上州、信州、秩父地方に多く見られる竜頭型で、全体的に扁平で細長く、ギョロとした目玉と大きな鼻の穴が特徴の、繊細というよりは、荒削りで素朴味のある頭(かしら)で、円海法師自らが彫ったものと伝えられ、別名「重箱獅子」とも呼ばれている。


父獅子の頭は、二本の巻き角に上向きの鋭い牙、後部は鶏の羽で飾られ、「巻獅子」とも「じいさん」ともよばれている。
母獅子の頭は、棒状の角に麻緒の毛で飾られ、[玉獅子」とも「ばあさん」ともよばれ、子獅子の頭は、宝珠と鶏毛で飾られている。
父と子の獅子は、腹に太鼓をつけ、両手にバチを持ち、太鼓を打ちながら踊り、母獅子は、太鼓ではなく「ささら」を持ち、摺り合わせながら踊る。



鳥屋の獅子舞は、約300年以上の歴史があり、その間この小さな山里に連綿と受け継がれてきた。
獅子舞としては古い形を残しており、四角く注連縄(しめなわ)で囲まれた神聖な空間のなかに、三枚の筵(むしろ)を敷き、その限られた空間の上で演じられる舞は、単調な所作の繰り返しではあるが、やがて時間とともに神懸り(かみがかり:神霊が人に乗り移ること)の状態となり、神霊が三人の少年の身を借り舞うという、神事芸能の特徴を秘めているともいえる。




 およそ30分、獅子舞を舞い終わり、獅子の頭をとったそこには、いまどきの三人の若者の顔があった。
茶色の髪と、流れる額の汗をタオルでぬぐうその顔には、大役を果たした安堵感と、満足感が満ちていた。
大先輩である祭りの役員の方に、ポンと肩をたたかれ、労をねぎらう言葉をかけられると、やっと神霊から解放され本来の自分に戻ったようにも見えた。

夜には、カラオケ大会も行われるようで、夕食時の境内は再び閑散とし、イべント業者の係りの人だけが忙しそうに準備を始めていた。
バス停で待つこと約40分、やっと来たバスに乗り、夕暮れ迫る山里を後にする。




◆ 参考メモ
  
  ・ 名 称 : 諏訪神社 例祭・獅子舞                                                  
         (神奈川県指定無形民俗文化財)
         (かながわの民俗芸能50選)
  ・ 期 間 : 8月の第2土曜日ころ
  ・ 場 所 : 神奈川県相模原市緑区鳥屋 諏訪神社および鳥屋地区
  ・ 交 通 : JR横浜線・橋本駅からバスで「三ヶ木」乗り換え、
         「鳥屋宮ヶ瀬」行きバスで「郵便局前」下車、徒歩3分


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